新緑の山城

 日に日に夏が差し迫る6月の終わり。
 山野は青々と繁り、その両手両足を自在に投げ出している。春の陽気に導かれ成長の季節は最盛を迎えようとしていた。先日まで続いた雨もどうにか止み、土くれの道は少し柔らかいものの歩行が困難、とまではいかない。
 今しかない。
 そんな強迫観念にも駆られた志筑信淵は一人、東海道線の電車に揺られ、彦根駅で下車した。
 いわずもがな、関西の東の端。滋賀県彦根市である。県庁所在地である大津市とは琵琶湖を挟んだ反対側になり、滋賀県の二大都市のうちの一つだ。かつては近江商人たちの往来で栄華を極めたこの場所も、令和の世の中の大都市一極集中のあおりを受け、そこそこ衰退の憂き目にあっている。
 平成の終わりの頃に「ゆるキャラブーム」なるものが生まれ、彦根市は井伊家の赤揃えを被った可愛らしい猫のキャラクターによって俄かに活気を取り戻した——かのようにも思えたが前代未聞の疫病の蔓延により鳴かず飛ばずといったところか。国宝にも指定された彦根城の賑わいは到底往時には劣る。外国人観光客の姿も増えてはいるが、正直なところ、彦根というのがどういう場所なのか、理解せずに訪れるものが殆どだ。
 彦根城主——井伊家の話を少しだけしよう。
 関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康の直参である井伊直政の領地として繁栄した。井伊家の菩提はその生地である静岡県浜松市に拠するが女城主を主人公とした大河ドラマの影響もあり、一時は認知度も向上した。浜松市は平成の大合併と称する地方自治体の組織改編の際、太平洋から長野県境までの一帯を内包する巨大な政令指定都市へと成長を遂げたため、過疎地域には十分に交通手段が通っているとは言い難い。井伊家の菩提寺は割合山深い立地のため、次第に客足は遠のいた。
 少なくとも、信淵が両親に連れられて参拝した際には寺院の規模に適した客数だったように記憶している。
 そんな忘却の宿命を帯びた寺院の中で、大半の参拝者が立ち止まる位牌が一つだけある。
 井伊直政ではない。
 第十六代藩主・井伊直弼である。
 小学校から高校に至るまで、井伊直弼の名はどの学校でも必ず触れられる。
 彼が本心から悪臣だったのかは最早確かめる術がない。
 それでも、大老・井伊直弼と桜田門外の変は教科書で必ず触れられ、そして大抵のものは井伊直弼に悪徒のイメージを持って育つ。なんて傲慢な。なんて横暴な。自業自得。勧善懲悪。そうなる定め。報いを受けただけ。例に漏れず、信淵もいい印象を持たなかった。
 だから。
 井伊家の城である彦根城の資材がどこで調達されたのかを耳に挟んだとき、強い嫌悪感を抱いた。反体制派の山城の主——石田三成のことに興味を持ったのはそれが最初だ。


「なぁ、ほんまに行かれるんですか?」
「はい。その為にここまで来たので」
「お一人では……よう勧められませんよ?」
「30分ぐらいでしょう? 大丈夫ですよ」
「けど」
「地図、ありがとうございました。行ってきます」
 そうでも言わないと延々に引き留められそうな流れを断ち切った。
 彦根駅のすぐ西側に隣接している観光案内所で、地図をもらうだけなのに15分以上の押し問答だ。時期が悪い——ハチやマムシの類が出るかもしれない、先日までの長雨で山道がぬかるんでいるかもしれない。そんなことをずっと心配して引き留められる。インターネットの検索でその場所がどんなところかは大体調べてきた。
 東海道線の線路を挟んで東側。小高い丘陵となった山の頂にその場所は抱かれている。
 かつて、戦国の世にこの場所を安堵された奸臣——石田三成の所領・佐和山城跡を見に行こうと思ったのは去年の冬のことだ。去年の後期に不本意ながら古文書の読解の講座を受講してしまった。古文書は奈良時代から明治初期あたりの広い範囲のものが取り扱われ、一緒に受講した友人などはいつの間にか織田信長の書のファンになっている。確かに個性的で力強いのに同時に繊細さも感じさせる不思議な書だったが、信淵が気になったのは彼の後に登場した石田三成だった。
 きっと生真面目で四面四角で融通の利かない——それゆえに好悪の分かれる武将だったのだろう。
 その才は評価するが気に食わない、と思っている同僚武将たちも数多いた。
 それでも。
 多分。
 石田三成は本当の本当に心の底から豊臣の世が続くことを願っていたことが窺える。
 それが日の本の国を発展させると信じてやまなかった。
 絶対的な善。それを推し進めるために必要な悪を一人で被り、嫌われて、疎まれて勘違いされて大義を失っていく。
 馬鹿な人だ。信淵はそう思った。もっと上手く立ち回ればいいのに。そうすれば彼の理想ももう少し受け入れられた筈だ。未来の遥か先の答えを知っている信淵がそう思うのはとても簡単で、浅慮だった。
 徳川家康ほど狡猾な老臣を出し抜くのにどれだけ難儀するか、だなんて「答えを知っている」から言えるのであって、その場にいて、信淵が何か有益な助言が出来ただろうかと想像するとき——無力感に襲われる。虚無感と言い換えてもいい。
 石田三成は現在の長浜市で生まれた。
 たまたま豊臣秀吉が立ち寄った寺の小僧をしており、三杯の茶、と呼ばれる天才的配慮を不言実行した逸材だ。
 その後、召し上げられ武将となり、主に後方支援を担う。戦線の一番後ろにいて、指示だけをしている安全で卑怯な役回りだと加藤清正や福島正則など同期の武将たちから侮蔑されていた。
 それでも。
 兵站を石田三成が担ってくれるからこそ、彼らはその武勇を奮うことが出来ているのだと、どの武将も認めたくないが認めていただろうとも思う。
 適材適所を実行した豊臣秀吉の鋭眼と自らの役分を全うした子飼いの武将たちの両方が揃っていなければ天下統一の前に、九州はキリシタンの国家となっていたかもしれない。そんな馬鹿げたことを考えたりもする。
 夏を予感させる日差しが降り注いでいる。
 彦根駅から北東の方向に進んだところに寺院がある。
 敷地は基本的に立ち入り自由で、地元の檀家たちが手を入れて整った墓地の区画と、少し荒れた区画とが現れた。何の縁故もない信淵は少し気後れしながらも墓石の間を進む。山頂までの登山道コチラ。そんな看板が緑の葉にうずもれるように立っている。携帯端末のGPSに頼れるのはここまでだ。何故なら、登山道として示されたものは「獣道」そのものだったのだから。

 最初の数段は階段のような風情があった。
 次第にただの土と草と枝があるだけになり、最終的にはどれが道でどれが山かがわからなくなる。
 下調べをしてきたから信淵は長袖と足首まであるズボン、それから動きやすい履きなれたスニーカーだ。もし、どれか一つでも違っていたら今頃はマダニのいい餌食だっただろう。
 軍手も用意すべきだった。そんなことを思いながら斜面を慎重に登る。
 道かどうか分からない道を抜けると「ランニングコース」と書かれた看板が目に飛び込んできた。嘘だろう。ここでどうやって走り込みの訓練などするのだ。自分の常識ではあり得ない発想に、彦根市民はもしや勇猛果敢な民なのかと考え直す。
 そんなことを考えてしまうぐらいには目の前に緑以外の色彩が存在していなかった。
 ランニングコースの標識を見てからもなお、引き続き山道を登ると目的地は唐突に姿を現す。
 小高い丘の頂上。少しだけ開けた場所に石碑が一つ。緑の隙間から見下ろした琵琶湖——近江、その淵に建つ白亜の城。あれが——ここにあったであろう城を解体して再構築した城の今の姿だ。
 佐和山城跡と書かれた石碑の傍らに誰かが立っている。
 こんな場所に誰かがいるなんて、信淵と同等の奇人がいるのは奇跡だとすら思って気付けば「こんにちは」と声をかけてしまった後だった。
「城を見にきたんですか?」
 琵琶湖と彦根城が綺麗ですね。
 そう続けようと思って、相手の反応が思っているのと異なることに気付く。
「驚いた。この時代でもまだ私の城を見に来る酔狂がいるのか」
「言い方。何気にしれっと侮辱してくるのやめてください、あなたもその変人の一人ですよ」
 相手は三十代前半ぐらいのどこにでもいそうな男性だった。
 とびきり容姿が優れているわけでもなく、かといって陰鬱さを感じさせるわけでもない、絶妙に「普通」の男性はどこか懐かしそうな顔をして「晴れていてよかったな」とまるで十年来の友人に語るように話しを続けてくる。
「雨が多いんでしょうか?」
「そうだな、小高い場所にあるから天守はよく雨に泣かされたよ」
 まるでそのときを見てきたかのような口ぶりが引っかかる。
 それでも、今更無視というわけにもいかず、信淵は会話を続けた。
「お兄さんは幾つですか? 会社員? 今日はお仕事じゃないんですか?」
「何だ、矢継ぎ早に色々聞くものじゃない。まず、今日は仕事だ」
「……俺、優等生ってわけじゃないんですけど、流石に仕事中にこんなところでサボるのはよくないと思います。っていうかどんな緩い会社なんですか」
「はは。公務員にだって出張ぐらいあるさ。新幹線の時間まで、少し、暇つぶしだ」
「えぇー。公務員なら市民の血税無駄遣いしないでさっさと公務に戻ってくださいよ」
 それが、役所に勤めたものの宿命だ。市民の——県民の、ひいては国民の血税を垂れ流している公務員の権化に出会ってしまったような気がして、信淵の胸中が苦く曇る。

「お兄さん、どこから来たんですか」
「私は今日は駿河からだ」
「お兄さん、その侍ムーブ寒いですよ。普通に喋れないんですか」
「普通だとも。令和の世の中にもだいぶ馴染んだ方なんだが」
「あ、そう」
 もしかしなくても信淵が声をかけてしまったのは真実の意味での変人だったのか、と寒気がする。
 頭のネジが足りていなさそうな自称・公務員とは決別してさっさと山を下りてしまおうか。そんなことも思ったが、公務員の双眸がきらきらと輝いて琵琶湖を見ているのに気付く。懐かしそうな、大事そうな、けれど歯がゆそうな曇りと輝きを同時に湛えた彼が真に悪とは思えず、もう少し会話をしてもいいか、などと絆されかける。
「なぁ君」
「何ですか」
「どうして君は『こんなところ』へ?」
 公務員が少し傷付きながらそう問う。その声音には惜寂と無力感と後悔が1:1:1ぐらいの割合で混ざり合っていて、信淵は理由もわからないのに罪悪感を覚える。
「こんなところ、なんて言わないでください」
 ここはかつての名将・石田三成が築いた城があった場所だ。
 数字の計算が得意で、武勇に欠けていたかもしれない。
 誰にでも公平を貫きすぎて、柔軟性に欠けていたかもしれない。
 真面目が過ぎて、冗談を言えないようなやつだったかもしれない。
 いや、きっと。全部、そうだったんだろう。史書は——名将たちの日記や手紙が石田三成をそういう将だったと後世に伝えていた。だから、令和の現在に至るまで彼は「悪名」を免れない。
「多分、ここの城主は琵琶湖大好きだったんだな、って」
「……そうかもしれない」
「いや、そうですって」
「ああ、そうだな」
「自分の生まれた場所を大事に思えるっていいことだと俺は思うんです」
 だから、お兄さんも公務員やってるんでしょ?
 昭和の頃は安定性が売りなのが公務員だった。
 それから元号が二つ変わって、令和の今。公務員は貧乏くじか大当たりかの二択の究極のロシアンルーレットと化した。上手くいけば一生安泰。高給ではないかもしれないが、ある程度守られている。その代わり外れを引けば最悪だ。市民という決して排除できないクレーマーに精神を害され、病むことだってあるだろう。地場の業者と癒着した上司。何かあればマスコミに過剰に叩かれて、私生活が崩壊する。
 そういう事例を信淵もたくさん見てきた。
 それでもなお、目の前のアラサー男性は公務員だと言うのなら。
 きっと駿河を——静岡県を大事に思っているのだろう。
「石田三成が我欲で破滅したとは思えないんです」
「……君は実に人を見る目がない」
「大切な人が大切にしているものを守るのは我欲でしょうか」
「もっと俯瞰してものごとを捉えた方がいい。相対的価値観を持たなければ決して競争社会を生き抜くことは出来ない」
 それは知っている。
 高校受験を皮切りに日本の学生は皆、試験三昧の人生を送る。
 今は少子高齢化で企業の方が信淵たち学生に「入社してほしい」と競っているから就職活動が困難を極めることはないだろう。だが、それは同時に未来の自分の姿を見ているのだとも思う。信淵たちよりもより少なく、より甘えた競争の中で生きてきた後進たちと対峙するとき。果たして信淵は正しい選択を出来るのだろうか。
 正しさがただの主観にならないようにするにはまず俯瞰が必要だ。
 俯瞰して、相手の立場からものごとを見て、そして判断をする。

「じゃあ、やっぱり石田三成は我欲の人じゃないです」
 偏屈かもしれない。
 頑固かもしれない。
 それでも。誰かに嫌われても、誰かに疎まれても。誰かに罵られても、謗られても。この国に必要なことを必要なときに実行した名将だ。勿論、彼を憎んだ加藤清正や福島正則を罵りたいわけじゃない。彼らには彼らの善があった。本当に、ただの近似値で、隣り合わせていたかもしれないが、素数として素だった。混じり合うことのないねじれの関係。数学的に例えるのならそうなるだろうか。
「100%正しいやつなんていないですよ」
「君は今、公僕ならさっさと新幹線に乗って駿河へ帰れと言わなかったか?」
「それは今もそう思います。あなたが公務員だっていうなら、一秒でも長く俺たちの為に働いてほしいし、この時間に給料が発生してるなんて絶対に許せないです」
 俺だってバイトとかして所得税とか消費税とか取られてるんですよ?
 なるべく軽く聞こえるように信淵は苦笑いで言った。
 目の前の男に悪意があれば、完全犯罪で信淵を殺めることも可能だと頭のどこかでは理解している。
 それでも。信淵と同じ、日本人の遺伝子を継いだ焦げ茶色の双眸を見ていると、彼はきっとそういうことをしないだろうという確信がある。
 人として優しく、他人に厳しく、自分にはより厳しい。信淵の祖父たちよりもずっと前の文化を知っていそうな不思議な瞳だった。
「……出張手当が付いている、と言うと刺し殺されそうだ」
「えっ!? そんな……税金泥棒……」
 大人の世界は謎のシステムがあるんだ、と言外に含まれていて学生の世間など高々知れていると釘を刺されたような気持ちにすらなる。
 新緑を煽って一迅の風が吹き抜ける。
 逆光で黒くなった木の葉がさざめいて、琵琶湖の湖面がきらきらと光る。
 この風を石田三成も知っている。そんな気がして、やっぱりここに城が残っていればよかったのに、と心の中で彦根城を少し罵りたくなる。わかっている。井伊直政が建材を奪って造った最初の彦根城など現存しない。江戸幕府の庇護下で井伊家代々の藩主が造営してきた名残を信淵たち現代人は守っているだけで、石田三成の佐和山城も、井伊直政の彦根城もこの世界のどこにももうかけらしかないのだ。
「君は公務員になりたいのか?」
「悩んでるから、ここに来ました」
「……? 意味がよくわからないが」
 石田三成の存在を知ったとき。胸中には嫌悪だけがあった。
 古文書を紐解き、記録の中に生きている彼を知っていくと、可哀想だと思った。
 その傲慢な憐憫を吹き飛ばすほど、彼は愚直で——そしてとても真摯だと気付いた。
 こんな生き方をしたい。後世に残る何かを成したい。誰かの為になる仕事をしたい。
 石田三成になってみたい。
 己の分も、身の程も弁えずそんなことを思ったこともある。
 彼の遺した理念を次の誰かに渡す存在になりたい。
 石田三成は勘違いをされても決して気にしなかっただろう。
 本懐が遂げられる——泰平の世が訪れるなら、謗りなど気にしなかっただろう。
 信淵は残念なことにその強靭な精神は持ち合わせていない。
 叩かれれば折れるし、嫌われれば悲しい。つらいことからは逃げたいし、回避できる失敗は経験したくない。
 そうだ。令和という世の中全体がそういう傾向にある。
 それでも。いや、そんな時代だからこそ。
「誰かの為に自分を注いだ人が見た景色を見たかったんです」

 自分のことを後回しにして。必死に豊臣の世を守って。安堵された彦根の街を見下ろして、石田三成と同じ体験をすれば何か答えが見えるような気がして、講義が運よく休講になったのを契機にここまで来た。
 全部自分の為だ。矮小でただの俗物の世俗的な自己満足だ。
 やりたい仕事なんてない。
 成したい未来なんてない。
 エントリーシートを書く度、信淵の心は嘘で満たされる。
 正解の文章を書く度、練習した面接の遣り取りをする度、信淵の心は削られた。
 本当の未来って何なのだ。自分が望んでいるのが何なのかすらわからないのに、モラトリアムの終わりは刻一刻と迫る。上辺を繕って、いい会社に入って、高給を得て。その先に自分がどうしたいのかが何もわからない。
 欲しいのは厚遇じゃない。自分が「欲しいもの」が欲しい。
 幼稚で、稚拙で、未熟で甘えた悩みだ。
 それでも。
「俺はここに来て、よかったと思います」
 観光案内所で何度となく引き留められた。
 一人で登る山ではない。そう言われても前に進めた。
 足元が見えないほどの青葉の中、この場所まで登ってきた。
 謎の給料泥棒とどうしてこんな話をしているのかはわからない。
 それでも、一つだけわかった。
「俺は公務員になりたいわけじゃなかった、と、思います」
「いいんじゃないか」
「『志』が欲しかったんです」
「君はもう持っているだろう」
「いや。ないです」
 志などという大義は信淵の中にない。
 目の前の男は即断した信淵に向けて訝るような視線を投げている。眉間に刻まれた皺の深さが彼の困惑を告げているようだった。
「ない、って。君、志もないやつが登れる城じゃないぞ」
「いいですか、お兄さん。登山は家に帰るまでが登山なんです」
 だから。この山頂から下りて、彦根駅に戻って。そして家に辿り着いたときにこそ、信淵の経験値は付与される。
 そんなことを説くと彼は心底新人類を見るような奇異の眼差しを向け、最終的に下山に同行する旨を申し出てくれた。
「奇特な若者をいっときの浅慮で失えるほど、この国は潤沢じゃないんだ」
「失礼ですよ。子供じゃないんだから一人で戻れます」
「君は裏門の方から来ただろう。下り口はもう一つあるから、そちらも通って帰るといい」
「待って! 待ってください! 俺! 蜘蛛だけは本当に無理で!」
 そんな泣き言を声高に告げても男は信淵の手を引いて、来たとき以上に多難そうな獣道をずんずん進み始める。見るからに蜘蛛の巣が幾つも待っていて、いっそ失神した方が楽だとすら思いながら信淵は絶叫するが、髪に、頬に、腕に粘着質の繊維が次から次へと絡みついて嫌悪感に上限などないという体験だけが残った。
「お兄さん! 本当! 無理なんですって……ば……?」
 木々の間を抜けてようやく開けた場所に辿り着いたとき、絶叫で枯れた喉がスッと痛みを手放した。
 左手の手首を掴んでいた男の温もりも消えて、近くを見渡したが彼の姿がない。
 代わりに、紙の切れ端を掴んでいることに気付く。
「お兄さん……?」
 ゆっくりと指を剥がし、掴んでいたものを見ると達筆な文字で「大一大万大吉」と書かれている。
 この山城を登ろうと思い立つような人間ならこの言葉は嫌というほど見ている筈だ。
 この城の——佐和山城のあるじである石田三成の紋なのだから。
「なんだ。本当に『あなたの城』だったんだ」
 幽霊について信じているわけではない。
 死者の魂なんてなおさら信じていない。
 それでも。多分、山頂で出会った彼は石田三成その人だったのだろう。
 本人に解釈を垂れるという無様を晒したことに今更気後れがする。信淵の二十と少ししか経験していない年月の経験で、偉そうに色々言ってしまったなと恥じると同時に「話を聞いてもらった」という感覚が残っていた。
 大学の教授にも、友人にも、勿論両親にすら言えなかった独り言を吐き出させてもらったおかげで、少し、頭がすっきりとしたように思う。
 アスファルトの舗装された道が緩やかな傾斜で続いている。これが本来の正門だったのだ。裏口から入って、講釈を垂れる不審者、という存在のいたたまれなさに恥じて消えてしまいたいとも思ったが、信淵は左手の中に残った大一大満大吉をゆっくりと握る。
 一人は皆の為に。ラグビーが流行った頃にも似たようなフレーズを聞いた。
 一人は皆の為に。その思い遣りの連鎖がいつか泰平の世を作ると教えてもらったのなら。
 命を懸けてその理念に捧げた人が後押しをしてくれるのなら。
 信淵は信淵の全力で「信淵の志」を探さなくてはならない。
 厄介な宿題をもらってしまった。そう思うのに満更悪い気もしない。
 坂道に誘われるように山を下る。まるでそこにあるのが当然の顔をしている住宅街を蜘蛛の巣だらけの風貌で通り抜けたら、まずは観光案内所に行こう。信淵の無事を伝えてから帰宅して。そして上辺を繕った自己分析をやり直そう。忖度のない、自分自身と向き合って、やりたいことがないのなら今からでも遅くない。今、この瞬間からやりたいことを作って行こう。
 そんな決意をもらった6月の終わり。
 来週から始まる前期課程の試験にも怖気づかないで立ち向かえるような、その程度の小さな変化が生まれた信淵なのだった。