Wish upon a Star * 02: Be Proud

 魔力を秘めた輝石を掌に載せるとサイラスの身体にある魔力と反応して対流が起きる。
 触媒と術者の魔力の対流が大きければ大きいほど効力の高い魔術を紡ぐことが出来る、と知ったときサイラスは生まれて初めて天賦の才に感謝した。ソールズベリ家は魔術師の家系ではない。サイラスが知る限りにおいて魔術師を輩出したという記録は残っていないから、この認識で間違っていないだろうという感触がある。ただ、サイラスはもう一つ別のことを認識していた。ソールズベリ家において子爵家という身分が魔術を試みる障壁となっていたのだろう。支配階級にあって魔術を学ぼうと思うものなどいない。魔術師はまだまだ卑しい職業の一つだと認識されているのだから。
 ではなぜその卑しい知識である魔術を王立学院で研究することが許されているのか、と問われるとシジェドの国民はエルヴィン王を筆頭に誰もが皆一様に返答に窮することが目に見えている。
 世の中というのはそういうものだ。
 不条理と不条理と不条理の上で成り立っているのが世界だ。
 だから、自らに魔術の才があったことを誇ればいいし、新しい生き方を見つけられたことを喜べばいいのを今のサイラスは理解している。
 魔力の対流を感じながらサイラスは魔術式を詠唱した。刹那、サイラスの感覚が鋭敏化する。魔力を指先に集中して光の形に留めた。それをランタンの中に収める。
 魔術式によって灯ったランタンの光を魔獣は嫌う。地下水道にいる魔獣の類はそれほど凶暴ではないが、念の為避けるに越したことはない。地下水道の定期点検に魔獣の駆除は含まれていないのだから、必要以上に仕事をすると後々魔術師ギルドから彼らの領分を犯したと恨みを買うだけ損をする。
 暗闇の一部がランタンによって照らされている。その境界線がぶれるのに合わせて小さな影が逃げ隠れするのが見えた。サイラスとリアムが駆除すべき害虫、害獣たちだろう。
 鋭敏化したサイラスの視覚が駆除対象の範囲を計算した。昨年の対象よりもやはり増えている。毎年増加傾向にあるということは、ソラネンの地下水道は何らかの問題点を抱えていると判じるべきだ。この定期点検は騎士ギルドからの依頼だとリアムは言ったが、別の組織の人間――役人たちに何らかの報告をしなければならない。
 その場合、流れの傭兵のリアムからではなく、トライスターのサイラスが口を挟む方がより効力を持っている。王立学院主席研究員というのはそれだけの肩書だ。わかっていたが、役人たちに報告すればサイラスの研究時間はごっそりと持っていかれるだろう。サイラスの考える仮定を告げ、それをもとに現場の調査を行い、そして原因を突き止めて対策を実施する。そこまででゆうに半年は必要だ。
 それでも、サイラスは知っている。
 自分の保身の為に結果報告を怠ればソラネンの街はゆっくりとだが確実に蝕まれていくだろうし、何よりサイラス自身を嫌悪することになる。建設的な提案をして協力する。それが一番合理的だ。わかっている。わかっているが、どうしてそれが自分でなければならないのだ、という思いも当然ある。
 サイラスの施した補助魔術に守られたリアムが定期検査を着々と進めていくのを見守りながら、サイラスの気持ちはずっと揺れていた。
 地下水道では地上の音は殆ど聞こえてこない。
 リアムが狩った害獣たちから素材を回収し終えて、地上に戻った頃にはとうに昼を過ぎていた。
 布袋にして三つ分程度、向こう一年分をゆうに回収出来たことについては喜ばしいことだとサイラスも思う。騎士ギルドに報告をして嫌味を飛ばされたことについて目を瞑ってもいいとすら思える。
 それでも。

「セイ、役所に行くんだろ」

 その問いに素直に首肯することが出来なかった。
 理由は二つある。先述のサイラスの研究時間を奪われるという懸念。それに加えてもう一つ。

「リアム、私が思うに役所ではなく魔術師ギルドの方が適所であるような気がしている」
「っていうと?」
「魔獣が繁殖している気配がある」
「えっ?」
「直接的な害はない。ただ、魔獣の気配に引き寄せられたものたちが集まってきているように見受けられる」

 魔獣の気配、というか魔力を帯びた体毛、あるいは排泄物から魔力を回収しようとする生物が集まっている。野生の生物というのは概ね魔力を持たない。持たないが、魔力を帯びた物質を経口摂取することで何らかの進化を遂げてしまうものもある。だから、攻撃的な魔獣でないからと言って安易に見過ごすことが出来ないのが事実だ。
 ソラネンの地下水道で駆除した害獣たちからは微量だが魔力が感じられた。リアムは純粋剣士だ。近接戦闘においてリアムに勝るものを探すのは中々骨が折れるが、彼は魔力を持たない。魔力を感じることもない。サイラスが魔術を使っても、リアム自身の魔力と感応しないから効果時間は短くなる。
 そのぐらい、リアムは魔力とは縁のない世界を生きている。
 魔獣を狩る為には魔力を込めた武器が必要だ。魔力を持った鍛冶師に武器を精錬してもらうか、魔術を使えるものに術式を付与してもらうかのどちらかが最低条件で、それ以外の方法で魔獣と戦えたという前例はシジェド王国が始まって以来三百年の歴史を辿っても一つもない。
 今日にしてもそうだ。リアムは魔力を持たないが、魔力を帯びた害獣と対峙出来た。それはひとえにサイラスの補助魔術があったからこその結果だ。リアムもそのことは理解しているだろう。だから、彼はサイラスの助力を乞うて学院の研究室まで来た。
 魔術師の知り合いはいないのか、と軽口でリアムに問うたことがある。
 淡白な彼らしくなく、妙に口ごもって、結局「お前がいるからいいだろ」と言って口を噤んでしまった。だから、触れられたくないのだろう、と思って今の今までリアムに干渉したことはないが、ことはソラネンの治安に関わる。
 もし、魔獣を狩るなどという事態になるのであればリアムの戦力は当然必要になるだろう。
 言外に緊急事態を告げるとリアムの顔色が変わった。
 ただ、彼が何かの返答を寄越すよりも早く口を挟んだものがいる。
 その声にサイラスは自らの失態を知った。ここはまだ騎士ギルドの正面だ。

「トライスター、聞き捨てならんぞ。貴様、我らソラネン騎士ギルドが脆弱であるかのような物言い、非常に不快である」
「私は別にお前には何の相談もしていないだろう」

 口を挟んできたのは騎士ギルドにおいて最もサイラスに敵愾心を抱いているシキ=Nマクニールという若者だった。マクニールは勲功爵家であり、シキの父親がその功績を評価され一代限りの貴族の地位を手に入れた。一代限りの勲功だから、当然、シキは爵位を持たない。シキ本人が何らかの勲功を得なければ父親の死後、平民に戻ることが確定している。焦りもあるだろう。子爵家の生まれであるサイラスのことを妬んでいるのも知っている。
 だから、シキの言動は始終風当たりが強い。

「逃げるのか腰抜け。これだから学者などというのは卑怯千万この上ないのだ! 傭兵風情の手を借りんでも我らは魔獣と戦える。至急討伐隊を招集するゆえ、貴様は魔獣の住処を我らに示せ」
「だからお前たち騎士は頭がおかしいと言うのだ」
「三年連続三科目満点の天才にはわからずともよい。ソラネンを守っているのは我ら騎士ギルドであるのだからな」

 理想に燃えるある意味において非常に正しい青年の在り方だ。正義感があり、責任感があり、使命感がある。そんなものを一々全部持ち合わせているのでは生きづらいだろうにシキは律儀にそれらと向き合っている。褒めるべきなのだろう。それでも、サイラスは溜息を吐くに留まった。

「マクニール。私は騎士ギルドのお前たちに魔獣の住処を教えることは絶対にない。絶対に、だ」
「馬鹿を言うな、トライスター。貴様、よもや自らの功績を最優先するが為にソラネンの危機を見逃すとでも言うのではあるまいな」
「危機などない」
「あるではないか」
「ない。お前たちが思っているようなことは一切ない」

 一刻も早く魔獣を討伐しなければ人々の安全が脅かされる、だとか、人喰いの魔獣である、だとか言うのならサイラスはもっと気を揉んだがことはそうではない。危険要素など殆どない、ただ魔力を帯びているだけの悪意ない魔獣に刃を振りかざすのはヒトの傲慢だ。
 お互いに害意がないのなら共存という道も選びうるだろう。
 その可能性を端から棄てて過剰に自己防衛をする権利がある筈もない。
 だから、サイラスは騎士ギルドに魔獣の報告をしない、と告げるとシキは怒り心頭といった様子で憤慨していたが最終的に頑としてサイラスが口を割らないことを察したらしい。魔術師ギルドに掛け合う、と言って自らのギルドの中へと戻っていった。
 サイラスは溜息を一つ零しながら、シキが乱暴に押し開けて消えた木戸がゆらゆらと揺れているのを見た。リアムが苦笑いの表情でサイラスの肩を叩く。

「セイ、大丈夫なのか?」
「今日明日どうなることでもない。魔術師ギルドへ報告はするが、向こうも人手や輝石が無限にあるわけではないだろう。私もその間に優先順位の整理でもするしかあるまい」
「研究熱心なのはいいけど、無理はするなよ?」
「それはお前も同じだろう。全く。地下水道から上がるときにはきちんと中和剤を使えと何度言わせるのだ、リアム。魔力を持たないお前のような人種は魔力を受けた後、中和剤を飲まなければお前以外の全員が迷惑を被るのだが」

 サイラスのように自らの魔力があるものは、外部から受ける魔力を自然中和することが出来るが、リアムにはそれが出来ない。中和剤を飲まずにリアムがソラネンの街中を歩く、ということはサイラスが付与した術式の魔力、害獣たちに触れた魔力を街中にばらまいて歩いているも同然だ。
 リアム本人は魔力による干渉を受けないから自覚がない。自覚がないというのが一番面倒だ。
 リアム自身の預かり知らぬところでリアムを媒介とした魔力散布が行われてしまう。そうなると耐性の低い幼子たちから順に体調に異変をきたすから、必ず中和剤を飲めと指示しているのにリアムは毎年毎年それを忘れてくれる。ソラネン以外にも当然、魔術は存在する。他の旅先でどれだけ迷惑をかけているのか。そのことを推し量るとき、サイラスの胸中には溜息しか溢れ出てこないのだった。

「何だったら、セイも一緒に来てくれればいいんだけどな」

 そうしたら、中和剤の飲み忘れもないし補助魔術も付与してもらい放題だ。
 そんなことをいつも通りの顔で言うリアムを見ていると、多分、この言葉は半分冗談で残りの半分は本当の本当に本心なのだろうと察する。叶わないと知っているから願う。サイラスはリアムのそういう強さを好ましく思っているから、呆れ顔でリアムの腕を叩き返した。

「行くぞ、リアム。マクニールより先に魔術師ギルドに報告をせねば心証を損ねる」
「セイってさぁ、本当に損得勘定も天才的に早いよな」

 その言葉には言外に研究を諦めるのか、と含まれていてサイラスは心の中でだけ苦虫を噛み潰した。
 そうだ。研究は明日でも来月でも来年でも出来る。それでも、今、この問題から逃避しておいて今更ソラネンの為に学術研究をしている、だなんて嘯けるほど分厚い面の皮を持っているわけではない。
 だから。

「魔術師ギルドから研究費をしこたま回収すれば帳尻が合うだろう」
「俺、セイのそういう現実的なとこ嫌いじゃないぜ?」

 理想を追い求め、高次元の理屈をこねまわし、高潔で聡明。生きている次元が違う。
 ソラネンの街ではサイラスのことをそんな風に評価するものがいるのもまた事実だ。
 それでも。サイラスが生きていく為には衣食住の全てと金銭が必要で、それを無視して理念だけで腹を満たすことは決して出来ない。だから、サイラスはこのよくわからない「友人」を通して学び取った。
 人が生きるということは決して美しい表面だけではない。傷付くことも、もがくことも、苦しむことも、痛むこともある。それでも、生きるという志を高く掲げたのなら負の感情から目を背けても何にもならない。人の人生は無数の傷の上で一瞬だけ輝きを放つ。
 それを教えてくれたのは他ならない、今、サイラスの隣に立つウィリアム・ハーディだ。
 だから。

「お前から教わったのだがな」
「うん?」
「どうせ今年も私の部屋に泊まるのだろう。テレジアに土産話でも聞かせてやれ」

 テレジアというのはサイラスが部屋を借りた寄宿舎の女主人だ。トライスターの栄誉を得た年以来、サイラスの部屋はテレジアの好意で一人で暮らすには十分すぎるほどの広さになった。その部屋の一間をサイラスはゲストルームとして使っている。リアム以外が使うことは殆どないにも関わらず、テレジアは毎日サイラスの居室と同じように丁寧に手入れをしてくれた。
 テレジアはソラネンに住んで長い。街の外の話を聞くのが数少ない楽しみだと言ってはばからないから、リアムの土産話は毎年テレジアを心底楽しませた。
 その代わりにテレジアはリアムから宿代を取らない。
 需要と供給が釣り合っている。
 そのことをほのめかすとリアムは満面の笑みを形どったまま言う。
 
「女将かー。女将は話長いからなー」
「お前自身も十分、話が長い部類だろう」
「えー、セイほどじゃないけどなぁ」
「言っていろ」

 軽口を叩きながら、サイラスとリアムは石畳の上を進む。
 夕暮れ時が近づいて、少しずつ空の端が色を付けようとしていた。
 魔術師ギルドのある塔まではもう少しかかるだろう。
 テレジアは多分、リアムの来訪を知らないだろうから今夜の夕食の準備は間に合わない。酒場で夕食も済ませた方がいいだろう。ならばサイラスの分の夕食は不要であると伝えるべきだ。羊皮紙にその旨を記して丸める。そうしてサイラスは首から下げている鳥笛を鳴らした――と言っても音は何も出ない。魔術式によって具現化しているこの鳥笛を吹くとサイラスのフクロウの耳にだけ信号が届く。その想定を踏襲した灰色のフクロウが間を置かず舞い降りてきて、サイラスは羊皮紙を彼女に託した。
 ソラネンの裏通りで酒場で明かりが灯り始めている。昼とはまた違う、賑わいの時間の到来を告げようとしていた。