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西白国(さいはくこく)の存する西方大陸はほぼ同心円状に二重の峰がある。所謂、外輪山の外側が外関(がいかん)、外輪山と内輪山の間が内関(ないかん)、大陸の中央・峰々の最奥に湛えられた湖水に浮かぶのがこの国の首府を擁する岐崔(ぎさい)市だということはこの国に生れ落ちた以上誰でも学ぶ知識だ。
戴文輝(たい・ぶんき)は湖水で生まれ育ち、先の「岐崔動乱」が起こるまで関を一度も越えたことがなかった。動乱に際し、戦後処理の一つとして文輝は唐突に外関で高等教育を受けることとなり、関を越えたときの驚きは今もまだ文輝の中に鮮明に残っている。峰を越えるに従い、環境は劣悪さを帯びた。湖水にある岐崔では四季があったが、外関には雨季と乾季しかないということは文字の上では知っていた。知っていたが、それがどういう事象なのかは体感して初めて理解出来た。
その中で知ったのが、文輝の進学先である軍学舎(ぐんがくしゃ)の修科(しゅうか)の立地は外関――郭安州(かくあんしゅう)でも州都にあたり、年中水不足に悩むことのない希少な雨宿(うすく)だったということだ。州都・江鈴(こうれい)市は六州ある外関の中でも気候に恵まれた方で、だからこそ国主(こくしゅ)の離宮の一つが配されていた。
厳しい気候。中央から下ってきたという異質さが生み出す敬遠。見知ったものは誰もいない。敵地にでも来たのではないかという感覚すら与えて、文輝の二年間が飛ぶように過ぎ去った。
律令の勉学はあまり得意ではなかったし、孤立している文輝には江府(こうふ)の右官(うかん)見習いとしての実務も大きな負担だった。二年後には中央府の武官登用試験を受ける。その気持ちだけが文輝を走らせていた。
苦労の二年が実を結び、晴れて文輝が中央復帰を果たしてからもう二年半が過ぎた。
官吏登用試験の受験資格には明確な区分がない。だから、ごく稀にだが西白国出身でないものが受験することもある。外国籍のものが国政に携わることは許されていないから、国官として登用されればその時点でそのものは西白国の籍を得る。勿論、事前に国府の然るべき機関によってそのものの身辺調査は済まされている。そのことを知ったとき、文輝は思った。美しい理念を掲げている美しい国だと思っていた自国もそれほど万能ではなかったのだ。人は人である以上、人を差別する。家族か他人か。地方か中央か。武官か文官か。結論から言えば、自分か他者か、という尺度が他の国々と少し違っているだけで、誰しもその概念の一端は受け継いでいる。
だから。
戦後処理の一環として、文輝に許された最初で最後の右官登用試験を受けるに際し、文輝の命運を託す相手が自国の出身者でないと判明したとき、どうしてだか無性に安心した。利発そうな顔つき。野望を宿した双眸。東方大陸の出身であることを隠しもしない青みを帯びた黒髪。文輝たち白氏(はくし)ではないその出で立ちを見ながら、文輝もまた場にあって異物であるということを否が応でも自覚する。純血の白氏であり、九品四公と呼ばれる貴族の生まれにありながら国官登用試験を受けるのは西白国史上文輝が最初で最後だろう。つまることろ、貴族の恥さらしに過ぎない自分を知って、それでもなお文輝は国官であることを望んだ。
国政の根幹である為の教育を受けてきたからかもしれない。
九品の生まれを未だ誇っていたからかもしれない。
生き別れた学友への罪滅ぼしか、顔見知りの国主への同情か、そういった何らかの逃避から始めたことだったのかもしれない。
それでも。
文輝は国官として本来の意味での繁栄と安寧を生み出したいと願ってしまった。
成人の儀礼――中科(ちゅうか)の途中で出会った幾つもの顔ぶれはまだ文輝の中に残っている。正しさは全てを救わない。真実は誰も助けない。知らないでいる方が幸せなことだってあるだろう。気付かない方が平穏に暮らせることだってあるだろう。
そのことを文輝の相棒――柯子公(か・しこう)の生き様が教えてくれる。人は生まれながらにして差別をする生きものだ。獣たちは皆、弱者か強者かという視点で区別はするが、不条理な差別はしない。差別などと言う不便な概念を持つのは人か一部の怪異だけだ。
わかっている。人も怪異も獣たちも誰しも生れ落ちる場所を選ぶことは出来ない。人に生まれたことを呪い、嘆き、悔いながら生きるのも、それらと向き合いながら生きるのも。自分の生き様を自分で決める権利だけが人に許されている。
ただし、それは人だけが持つ自己との対峙と言う意味があってなさそうな煩悶と表裏一体なのだが、そのことを直視出来るほどには文輝はまた成熟していなかった。