「わたし」がただ神の手によって踊っているだけの存在だと気付いた日のことはまだ覚えている。
神の加護を受けているのではない。神の思うように動かされている。「わたし」の意思すら神が作ったものと知って、「わたし」は世と別れようとした。果物を切り分ける為の小刀を首に押し当て、何度も躊躇いながら結局は頸動脈を切った。その瞬間のことを忘れる日は来ないのだろう。例えられない程の恐怖を覆い隠した無力感。あまりにも強い熱と頭の奥が軽くなる解放感。ああ、これで「わたし」は終わるのだ。その寂寥感さえ覚えたのに世界は「わたし」を手放さなかった。血の海の中に浮かぶ「わたし」は程なくして家人に発見され、治療を施される。絶対に取り返しのつかない程度まで首を切った。なのに「わたし」は生きている。その瞬間に理解したのだ。「わたし」は自ら死を選ぶことすら許されていない。神とは斯くも傲慢な存在なのだと理解せざるを得なかった。
それから、ずっとだ。
「わたし」の虚無の日々が続く。「わたし」が男だったのか女だったのか。幼かったのか若かったのか年老いていたのか。その何一つすら分からなくなっても「わたし」はただ在り続けた。
昨今は首元が隠れる服装が流行している。傷跡を隠すのには都合がよかったから「わたし」は好んで服飾に興味があるように振る舞った。
本当を覆い隠して、真実に蓋をして、そうして「わたし」はまだ生きている。
死にたいとも消えたいともなくなりたいともいつしか思わなくなっていた。
どうせ明日は無限に続く。今日の出来ごとに心を痛めるのは無為だ。そんな感覚にすら苛まれてそれでも「わたし」はまだ生きている。
終焉の鐘が鳴るのはいつだろう。
その鐘が鳴ったなら、「わたし」は喜んでこの首を差し出そう。
そう決めてからどれだけのときが流れたのか「わたし」はもう覚えていない。