「如風伝」第二部 一話

「色は」
「極めて濃い紅だ。白墨で文字が綴られている」

 伝頼鳥を紡ぐための料紙は重要度により色の濃さが定められている。色相はその通信士の所属を意味し、子公が今口にした内容であれば右官――かつては環という身分制度に基づき赤環と呼び名わされた武官だけが赤系統の料紙を使うことを許されている――の誰かが緊急の用件で飛ばしたのだということを文輝は一拍で理解した。

「内容は」
「私にもよくわからんが、確かなのは治水工事の為に派兵した工部治水班測量組十五名全員と連絡が付かぬ」

 沢陽口――文輝たちが明日から二十日間派兵される城郭(まち)で、岐崔に三つある津(みなと)と結ばれている城郭の一つだ――は先年の秋ごろから雨が少なく、湖水の沿岸ということもあり、干ばつとまではいかないが飲用水として取水出来る湧き水が減っているとの報告があった。
 急ではないが、湖水でこのような状況に陥ることは近年類を見ず、何らかの変化をきたしていると思われるため、土木工事を司る工部(こうぶ)治水班(ちすいはん)が調査を始めていた。それが今から十日ほど前のことだ。
 岐崔・眉津(びしん)から沢陽口までは風向きにもよるが概ね半日程度を要する。測量組十五名程度であれば一本の増便でこと足りただろう。九日前に測量組は沢陽口に到着していたと考えらえれる。
 測量組とは言うが、工部もれっきとした右官だ。最低限の戦闘能力は備えている。己の身を守る程度の武であれば十分だと言えるだろう。事前に城郭に異変があったという報告も受けていない。調査の範囲は外郭の周囲一里程度の範囲だと聞いている。
 その測量組全員と連絡が付かないというのはおかしなことだと文輝も思う。
 何らかの想定外の事態が起きた、と考えるのが妥当だ。野獣の出没も怪異の発生も報告されていなかったから、山崩れか何かの類だろうか。そんな自分に都合のいい解釈を導き出しながら、ふ、と文輝は気付いてしまった。

「『鳥』を出したのは沢陽口の通信士か」

 通信士は通常、一班に一人の割合で配置される。今回のように先遣隊として派兵される場合には、十五人の組であっても一人が配置される。だから、測量組十五人の他に最低でもあと一人、通信士がいる筈だ。だが、それならもっと仔細な記述があるだろうに子公はそれに触れようとはしない。つまり、今届いている伝頼鳥にはそのような記述がない、と認識するのが正解だろう。
 となると、伝頼鳥を送ってきたのが測量組の通信士ではない、と解釈するほかない。
 であれば、沢陽口に配置されている城郭所属の通信士か、と思ったがその問いにも子公は難色を示した。

「それが、どうもおかしい。白墨の筆跡を正式に鑑定すれば判明するが、どうも民間の才子が見様見真似で送ってきたように見受けられる」
「見様見真似で? そんなことが可能なのか」
「だからおかしい、と言っているだろう。そもそも、『鳥』は通信士が宛先を指定しなければ飛べぬ。民間の才子にこちらの情報が洩れているのだとすれば、これはただごとでは済まぬぞ」

 子公の声色に苛立ちと怒色が混じる。言いたいことがあるのならば最初から言え、と常々言っているのにこの副官殿はいつもこうだ。文輝が「自ら気付き」「自ら動き」「自ら答えを出す」ことを何よりも求めてくる。面倒臭いやつを副官にしたものだ、と嘆いた時期もある。それでも、文輝は子公を諦めようとは思わなかった。
 出世街道から外れたとはいえ、文輝には戴家という後ろ盾がある。だからこそ、文輝は好きなように生きてこられた。勿論、つらいことがなかっただなんて嘯いたりはしない。
 それでも。だからこそ、文輝は知っている。子公にはその後ろ盾どころか、彼を庇護してくれるものは何もないのだ。周囲の全てが他人で、誰の言葉を信じ、誰の為に尽くせばいいのかがわからない。だから、子公はいつでも文輝を試している。貴様は本当に信用に足るのか、と。
 今、子公は文輝を試している。少ない情報の中から何を選び、何を拾い、何を見つけるのか。その、子公の顔色を窺っているわけではない。ただ、溜息を吐く副官殿から危機感を察したから、あまり軍略には長けていない頭を必死で回転させた。

「念の為に聞くけどよ、『誰宛』だったんだ?」
「ふん、肝心なところで期待を裏切らん男だな、貴様は」

 及第点だ、と子公が表情を緩める。
 そして、彼は言った。出来れば一番聞きたくなかった答えを。

「そうだ、貴様宛だ。『小戴殿』」

 誰だ、そんな「鳥」を飛ばしたのは。どうして文輝がここにいることを知っている。宛名の要素の中にはどこの府庁か、という概念が含まれていることを文輝は知識として知っている。兵部軽歩兵隊第五班初校尉、まで限定しなければたとえ文輝の名を知っていても決して届かない。文輝が初校尉の職を拝領したのは今年になってからの出来ごとだ。任官は勅をもって発令されるが、それでも全てが公にされるわけではない。文輝程度の庶官のことを調べる為にでも、右尚書(うしょうしょ)という人事府に問い合わせる必要がある。身分が確かで、開示する為の正当な理由がなければここで却下されて終わりだ。だから、文輝がここにいて何の職にあるのかを調べたものがいるのであれば、それはすぐに判明する。

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