最初は多分、偶然だったのだろうと思う。
偶々上手い冗談を言った。それが思っていたよりも高評価され、「わたし」にはその手の才能でもあるかのように吹聴された。偶然の一回が続く筈もなく「わたし」はいつしか期待に添えない、雰囲気の読めない存在となった。どこから間違っていたのか、そんなことは「わたし」の方が教えてほしいぐらいだ。
だから、その力が本当に備わったとき、「わたし」の生活は一変した。
軽視と侮蔑の日々が変わったとき、「わたし」は驕るのではなく、軌道修正をするべきだったのだと今ならわかる。
軽々しく「力」を使うことも、そのことによってつまらない自尊心を満たすことも、もっとその因果について思考を巡らせるべきだった。
それも「今」となってはもう遅い。気付いたときには全て定まった後だった。
「わたし」が本当にほしかったものが二度と手に入らないと知って、「わたし」は荒れた。
あの瞬間ほど「わたし」は絶望したことがない。
神は何故こうも非情であるのか。
その無為な問いの答えも「わたし」は知っている。知っているのに詰りたかったのだ。それは「お前」の過ちだという言葉をどうしても聞かなかったことにしたかったのだ。
それがこの過ちの始まりで――永遠に変わることのない終わりだ。