「如風伝」第二部 十七話(完結)

 国主の座を継ぐ前も、継いでから後も。伶世はずっと一人だった。
 方家の娘として敬遠され、利用され、国主としては腫れ物に触れるように扱われる。
 そんな毎日の中で、伶世本人に心を砕いてくれたのは文輝だけだった。そして、これから後もそれは続いていくだろう。そうなるのであれば、文輝の身の上を留めおきたい。
 伶世らしくない打算の結論に文輝は大きな溜息を吐いた。

「――お前がさっき言ったことをそのまま返すぞ。『命を粗末に扱うのはやめろ』。お前自身も、お前が産む子も短慮から不幸になることがある」

 身を切る思いでそう責めても伶世の双眸は濡れてはいたが揺らぐことはなかった。
 その、芯に秘めた強い輝きで言う。

「文輝殿はそのような不実な方ではございませんでしょう?」

 あなたは人を不幸に陥れて傲慢に笑えるような方ではない。
 子を成したのなら誠心誠意を以って育む、と心から信頼されていることが否が応にも伝わって文輝は伶世の心を動かしたいのなら、口先だけの言葉では不足していることを知った。
 あの朝。別離の言葉を紡いだ伶世がその後どのぐらいの不安の中にいたのかは知らない。
 一人きりだと嘯いて、どれだけ傷付いたのかも知らない。
 四年の歳月がお互いの知らないままに過ぎ去って――そうして伶世が何を願ったのかを知らないで拒絶を示すことの罪悪の前で文輝は膝を折った。

「――時間をくれ」
「是。勿論です。何も考えずに即諾される方でしたら、私の方から願い下げですし、この王城にいて進退を考えるのは困難かと思われますので、文輝殿には柯皇子と共に青東国の視察をお願いしようと思っております」

 いつの間にか泣き止んだ伶世が美しく微笑んだ。
 その、悪戯が成功したような、自分の方が教える立場に変わったときの満足げな顔をもう一度見られたのなら、この下らなくて謀略の匂いしかしない談合に引き込まれたことも満更悪いだけではなかったような気がするのだから、文輝はお人好しなのだろう。

「――お前は、一体どこまで諮ったら気が済むんだ」
「何も謀ったりはしておりませんよ。そういう巡り合わせです」

 二十二の国主の両肩に国運の全てを委ねることの罪悪を考えたものがどれだけいるだろう。西白国の開闢以来、十七で国主の座を継いだ女性は一人もいない。その、前代未聞と一つずつ戦ってきた伶世は文輝が思っているよりも強く、そして思っている程には強くはなかったのだと知った。
 文輝の両頬に触れている掌が朝の気温で冷たくなっている。手袋をはめたまま、その指を一本ずつ外す。そして、適切な距離を保つと、文輝は何の躊躇いもなく自らの手袋を脱いで冷静に被せてやった。手の大きさがあまりにも違って、保温効果は低いかもしれない。
 わかっていたが言った。

「伶世。女性はそんな風に手を冷やすものじゃない」
「――是。是、ではその手で私の手を温めてくださいませ」

 泣き止んでいた伶世が文輝の過去を思わせる言葉で再び落涙する。子公が「貴様はとんだ女性泣かせの最低な男だ」と鼻先で笑うと、伶世が「いいえ、女が泣けるほどいい男ではございませんか」と応じて、文輝は一生この二人には舌戦で勝てる日が来ないと知った。

「なるほどなるほど。となると東方大陸から戻って来るまでわたくしとしても目付が必要でございますね」

 茶番劇には興味がないとばかりに女仙は自らの損得勘定へと戻る。
 二十四白の候補を何の監視も付けずに他国に出すことは出来ない、だの、誰々では不適格だの、ひとしきり何かを思案して「白喜、どうせ聞いているのでしょう」と虚空に向けて話しかける。普通の人間の行動なら気が触れたと思うしかないが、白瑛は二十四白――天仙だ。返ってくる現実がそもそも人の常識を逸脱していた。
 呼ばれた虚空から、いつかの夏の永遠でみた十ぐらいの少女が姿を現す。

「首夏と一緒に行けって言うなら、今回だけはあなたの言い分を聞いてあげてもいいよ?」

 だって、首夏はわたしの大事な友だちだから!
 言ってそれは嬉しそうにはしゃぐ少女を見ていると、彼女はくるりと身を翻して着地した。