Fragment of a Star * 04:神の在り処

 ヒトは明日を知るすべがない。
 魔獣や亜人の類なら千年先まで見通す千里眼を持っているものもいるだろうが、ヒトにはそれだけの力を持ったものはいないから、明日のことなどそのときになってみないと誰も知らない。
 遥か遠き未来を知らないからこそ、ヒトは今を生きている。滅びることも栄えることも知らないでただ今日を生きている。
 結局、野盗の二人は一日だけ考える時間がほしい、というので翌日の夕刻、馬車街の南門が閉まるまで待つと口約束して別れた。冒険者ギルドから引き受けた薬草採取の報酬を受け取ったから、これであとはハルヴェルまでの路銀も足りるだろう。そんなことを考えながら、簡単な魔術を使いつつ薬草を煎じている。ベルローズを薬に加工したら更に倍額の報酬を支払ってもいい、と冒険者ギルドが申し出てくるところを見ると、この街は慢性的な薬不足なのだろう。ウィリアム・ハーディが苦笑しながら、三倍の報酬が出るなら倍の量の薬を煎じてもいい、と交渉しているのを見たとき彼がどうやって世間を渡ってきたのかを何となく知ったような気がした。
 リアムとシキ=Nマクニールは何のため、とははっきり言わなかったが多分、野盗姉弟のための騎馬を確保しようとしている。昼過ぎに森から帰ってきて以来、夕刻になっても二人は宿に現れなかった。
 宿には空き室があり、この部屋の今晩の客はいないらしい。そこを臨時の薬房として使用してもいい、との許可を得たサイラス・ソールズベリ=セイは誰も戻ってこないのをいいことにずっと薬を作っている。二頭の魔獣たちもヒトの姿になってそれぞれに次の街への準備をしていた。

「あるじどの。夕食の刻限よ。薬師ではないのだからそんなに必死に調薬をするものではないわ」

 音もなく帰還したスティーヴ・リーンが呆れた顔でサイラスを見ている。その麗しい表情に導かれるように部屋の中に意識を戻すと、確かに夕暮れも終わって窓の外はすっかり暗くなっていた。夏は日が長い。にも関わらず、この暗さならスティーヴの言うように時間が経過していてもおかしくない。魔導ランプの灯かりを消すと室内も宵闇に満ちる。
 一緒に出て行ったフィリップ・リストの姿はない。鷹の魔獣ではあるが、彼は現身の生業――聖職者としてヒトビトの告解を聞き届けることに誇りを持っていた。馬車街にも必ず天空父神・デューリを祀った聖堂がある。そこで他の聖職者たちと交流したり、神の教えについて論議したりするのをフィリップは楽しんでいる。
 
「スティ。フィルはまだ教会か?」
「いいえ。あなたが性懲りもなく宿屋で『研究』を始めているだろうから、と言ってわたしを探して来たのよ」

 せっかく、今日の舞台を手に入れられそうだったのに残念だ、と女鹿の魔獣はむくれる。
 シジェド王国でも名の通ったエレレンの奏者であるスティーヴもまた、自らの生業に誇りを持っている。
 投げ銭が欲しいのではない。ヒトビトの歓談の場を盛り立てる演奏をしたいだけだ。その情熱に正直すぎるスティーヴのことを風聞でも知らないものはいない。スティーヴ・リーンと名乗れば大抵の酒場は舞台に立たせてくれた。それでも、無賃ではお互いの為にならない。ある程度の演奏料の交渉が成り立ったときにしかスティーヴは演奏をしない。その、価格交渉を邪魔された、と彼女はフィリップに憤りながら――同時に慈しんでいた。

「フィル本人がくればいいだろうに」
「馬鹿ね。フィルがあなたを引きずり出せる魔獣かどうかを考えなさいな」
「それもそうか」

 フィリップは鷹としては超常的な能力を持っているが、地上での方向感覚はめっぽう弱い。シジェド王国によくある造りの市街地はただでさえ弱い方向感覚を狂わせるようで、彼は誰かが付き添わねばいつも街中で迷子になった。スティーヴの居場所は同じ魔獣同士、見つけられるらしく、今回もまた目的地として安易に設定された、という結末が見える。
 スティーヴに言伝たというよりは、スティーヴに拾ってもらわないと宿まで帰ってくることも困難だった、が真相だろう。

「それで? 魔術は解除した? 火気は消えたの? 薬は適切に保管出来て? ここはあなたの住み慣れた王立学院ではないの。あなたの落ち度に多くの運命が左右されるということをよく覚えておくことね」
「まったく。世話好きの魔獣もいたものだ」
「失礼ね。わたしは、あなたにわたしが仕えるに値するあるじでいてほしいだけ。それを逸脱して二度と元の場所に戻ってこないのなら契約不履行で食って差し上げてよ」
「そうだな。そういうことにしておこう」

 もう! 本当に失礼なヒトね、あなたって!
 美しき魔獣は拗ねたように怒って、そうして結局はサイラスと共に宿の玄関まで出てくる。果たしてそこにはフィリップがいて三人は食堂へと向かった。

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