Fragment of a Star * 04:神の在り処

 シジェド王国の南部は温暖を通り越して高温湿潤の気候帯に属する。ソラネンは王都・ジギズムントとほぼ同緯度に位置し、気候の変動に多少左右されるが温帯だ。南下すると聞いていたからサイラスの持っている最も薄手の衣服を持ち出してきたが、既に暑気を感じている。貿易都市・ハルヴェルまで南下すると完全に上着が不要になる、とのリアムの言葉に彼がいつもざっくりとした服装をしていることの因果を何とはなしに察した。
 魔獣たちは外気温や湿度などとは隔絶した存在らしく、暑いも寒いも口にしない。
 基準になりそうなシキは鉄面皮の上、根性論で生きている騎士だったから彼もまた問題を提起しない。サイラスは同行者たちに集合時間だけ確認をして、この馬車街の古着屋を訪うことにした。
 その間にスティーヴはシキを連れて件の山林へ旅に同道してくれそうなカッソを探しにいくそうだ。シキもまた衣替えが必要だろうと思ったが、彼の分は昨日サイラスが薬を煎じている間にリアムに見繕ってもらったらしい。そういう仲間外れはやめてくれ、と思ったが薬作りに没頭したのもまた自身であり、強く抗議することが出来ない。今日はどうする、とリアムに聞けば彼もまた山林の方に参加するという。

「坊っちゃんだけに姐さんを任せるのは不安だろ?」
「失礼なことを言うな。俺も騎士ギルドの一員だ。婦女子への接し方ぐらい知っている」
「まぁ、姐さんは魔獣だから危険なんてないかもだけど、街の外へ出るんだから戦力は多い方がいいじゃないか」

 その、一利ありそうな主張を満面の笑みで雌鹿の魔獣が一刀両断にする。スティーヴにとってヒトの子というのは万事頼りなく映るらしい。
 
「わたしは寧ろお荷物が一つ増えるだけの気がしていてよ」
「姐さん! 俺だって一人前の傭兵なんだからお荷物までは行かないって!」
「騎士殿、この愚かものの面倒をお願いしたいのだけれど、よくて?」
「姐さん! そりゃないだろ」

 貴様はそういう軽薄なところが信頼されんのだと気付け。
 呆れたようにシキが零したのを最後にスティーヴたちは出て行った。
 残されたフィリップは憐れみの眼差しでその背を眺めていたが、ややあって彼もまた古着屋へ同行する旨を伝えてくる。

「トライスター。君の経済力なら新しいものを仕立てることだって出来たのじゃないかな?」
「一時期、旅する為だけにわざわざ新しいものを仕立てるほどのことでもないだろう。私は服装にあまり頓着しない性質でな。ソラネンでは概ねずっと制服を着ていたぐらいだ」
「その王立学院の校章の付いた上着のことかい?」

 サイラスが今、着ているのは深い黒を基調としたスリーピースだ。春から夏にかけては生糸で織られた生地となっており、肌触りが良い。夏の暑い時期には麻、冬の寒い時期には羊毛といった風に生地の素材が変わることはあれど、デザインは統一されている。ソラネンの寄宿舎で暮らしていたときは、金糸の刺繍が施されたシャツブラウスも洗濯の度にのりがきいていて皺にならないようにテレジアが気を配ってくれたものだ。
 ソラネンの王立学院の制服はもう何十年も変わっていない。
 一年中、左襟で輝く校章は設立以来、ずっと同じ意匠だからフィリップたち魔獣からすれば懐かしい部類のものだろう。
 シジェド王国でもこの制服を着られるものは限られている。
 伝統を守り、品格を暗黙裡に示したこの制服を着ていればシジェド王国の中ではどこへでも行ける。
 とは言うものの、時代の移り変わりの中で、王立学院の学士や生徒たちにも自主性という概念が共有され、ソラネンの中ですら制服を愛用しているのはサイラスぐらいのものだ。教授、或いは博士の称号を得たものたちまで含めても日常では皆、もっと実用的な衣服を身に纏っている。

「公の式典に参加しても問題ないぐらい、きちんとした格式のある格好だが?」
「世間が勝手に思う学者の格好でないのだけは確かだ」
「まぁそう言うな。お前の修道服も似たようなものだろう」
「これかい? 君たちは皆、修道服は一通りしかないと思っているようだけれど、実は一つのデザインで三つの季節に対応しているんだよ?」

 君の制服と似たようなものだよ。生地の厚さや、裏地の有無。そんなものの違いには皆気付かないものだね。
 制服、というのはそういうある種記号のようなものだ。わかりやすくその存在を明示する。王立学院の制服は学術の徒であることを、修道服は神の代弁者であることを何の説明もなしに主張し、周囲もまたそれを受け入れる。それもまた共有知の一つで、ヒトの世というのはそういった暗黙の了解の積み重ねで構成されている。そんなことを語りながら、サイラスたちは赤土の通りを歩く。
 朝から昼へと移り変わろうとする刻限の大通りには賑わいが咲きつつあった。宿のある区画から少し離れた区画、道具屋と並んだ場所に古着屋が見つかる。ソラネンのそれとは比べるべくもなく、古着が雑多に吊るされた竿を順に店主の男が店先に並べている途中だった。

「店主。中を見ても良いだろうか」
「へぇ、別に構いやしませんが」

 何をお求めでしょう、先生。生憎、うちには高級なものはありゃしませんが。
 言われて店主が今、吊るしたばかりの商品に目をやる。比較的安価で流通している衣服が殆どで、サイラスやフィリップの身なりからすれば不釣り合いにも思えるが、この先、南下するに伴い変化が必要なのは自明だ。高級なものでなくていい、と前置いて店の中に入ろうとする。

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