Wish upon a Star * 07:Follow me

 天才と呼ばれることに酔っていなかったか、と言われるとサイラスは少し返答に詰まる。
 両親と死別したあの日から、孤独の道を歩いてきた。テレジアを助けたのも自己満足だ。自分より立場の弱い存在だから救って「やらなければならない」という使命感があったのは否定出来ない。一人で死にゆこうとしているテレジアに同情したのもまた否定しない。一人でいることのつらさを味わったまま、誰にも看取られず死ぬことに怯えていた。魔力を帯びた蜘蛛の子に未来の自分が重なって見えた。だから、救ってやりたいと思った。テレジアを救うことでサイラス自身が救われたかった。
 その打算をテレジアが知らないままだ、とは思っていないがどの辺りまで見抜かれているのかを確かめるのは墓穴を掘る行為だとわかっていたから、疑問のまま残っている。
 ウィリアム・ハーディという傭兵と知り合うことでサイラスの人生は少し奥行きを帯びた。
 自由人のリアムはサイラスの人生に様々な色を載せてくれる。旅の途中の冒険譚。サイラスの知らない異邦の景色や旅情についての感想。慈善活動を他人の為ではなく、自分の為に行うことで得られる充足のことをリアムが教えてくれなかったら、多分、サイラスはソラネンの人柱であることをもっと早い段階で投げ出していただろう。
 ソラネンの街は美しい。
 人が持つ欲求の中でもより美しい探求の志を掲げたものが集う街だからこその輝きがある。
 輝きがあれば、その分のかげりもある。それを差し引いてもサイラスはソラネンの街とここに住まう住人たちのことが好きだった。
 だから。

「トライスター! この街がダラスに狙われているというのは本当か!」

 指示系統の源流である役所の開庁を待つ時間で、他のギルドに根回しをしようとリアムと話していたところにその声は飛んできた。騎士ギルドには夜警があるから、朝早くとも誰か役職にあるものと話が出来るだろうと踏んで優先的に訪問しようと言ったばかりで、正直なところサイラスはこの青年との間に浅からぬ縁があることを確信するに至る。

「マクニール。その情報は誰から知った」

 騎士の中には元々半数程度、魔力を持つものが存在する。本職の魔術師と比べると流石に対等な戦力とは言えないが魔力を帯びた武器に術式を施したり、自己強化を行うことで更なる戦力を持つ。物理的な戦闘力では純粋騎士に劣り、魔術的な効力では尖塔の魔術師に劣る魔術騎士たちは自らが中途半端な存在であることを誰よりもよくわかっているから、両ギルドの橋渡しを引き受けてくれる可能性が高い。
 サイラス個人を狙って魔力干渉を行ってきた可能性と、ある程度以上の魔力を持つものに対して広範囲に干渉をした可能性との間で揺れていたが、ダラスという具体的な単語が出てくるのならば、後者だったのだろう。
 騎士ギルドの中にもサイラスと同じ映像を見たものがいる。
 それが誰なのかを知りたくてサイラスは問いに問いを返した。
 だのに、まるでそれが当然のことであるようにシキ・Nマクニールは彼の質問を繰り返す。

「俺の質問に答えろ、トライスター! この街に危機が迫っているのか!」

 危機管理が出来ないのか。詰りそうになってサイラスは堪える。談話室でリアムの言った台詞を思い出したからだ。嫌いなやつに望んで話しかけるやつはいない。であれば、シキはサイラスが思っているほどサイラスのことを嫌っていないのではないか。
 腹を割って話し合って、相互理解を得ている余裕があるかを束の間思考してやめた。
 今は厄災の襲来に備えるのが最優先だろう。

「……そうだ」
「ならば我らソラネン騎士ギルドが全力で貴様たちを守護しよう」

 その為に必要な指示があるのならば言え、とシキが真顔で言う。そこにはサイラスを軽んじる様子は微塵もなくて今まで思っていたシキの表情とは違って見えた。心象が違うだけで視覚情報はここまで違うのか、と思うと人の心理構造についての討論に参加したくなったがそれはソラネンの安寧が保たれてからで十分間に合う。
 だから。

「マクニール、ダラスの情報をお前に伝えたのは誰だ」
「シェール副団長殿だがどうした」

 シキに情報を伝えたのがシェール副団長――魔術騎士の中でも最も実力のある騎士が彼だ――ということは今、騎士ギルドには魔術騎士の部隊が最低でも一班は待機している、ということだ。彼らのうちどの騎士までが魔力干渉を受けたのかを確認することで、間接的に敵のダラスの影響力を推し量ることが出来る。シェール副団長と面会したい、と思った。

「シェール殿は今、ギルドにおられるのか」
「副団長殿は今、尖塔に出向いておられる。用向きがあるのであれば尖塔へ向かえ」

 何の為に、とはシキも問わなかった。シキもまた純粋剣士だ。生まれがソラネンでなかったら、聖騎士を志したかもしれないほどの防御偏重型で、守るという戦いにおいてシキは決して価値のない存在ではない。寧ろ良き盾として守護してくれるだろう。それで命を落とそうとも、ソラネンの安寧が守られるのであればシキは決して恨み言など言うまい。全身全霊を―――彼の命すら懸けて本当の本当に魔獣と対峙出来るものを守る、という覚悟を灯した顔をしてシキは言う。

「トライスター、ソラネンを想う気持ちであれば俺は貴様にも劣らん。俺はソラネンに十八年の恩がある。十年の貴様などには絶対に負けん。絶対に、だ」

 彼の愛するソラネンを根本的に守っているのがサイラスだ、と打ち明けたらシキはどうするだろう。多分、同じことを繰り返し言ってくれるような気がした。敬遠もせず、排斥もせず、尊厳を保って、シキはサイラスのことを同胞と呼んでくれる。そんな確信にも似た感覚がサイラスの身に降ってきた。
 だから。

「頼りにしているぞ、マクニール」

 今まで一度も彼を称賛したことがなかった自分自身にも気付いた。
 強い語調で詰られるだけだったから、サイラスもまた素っ気ない態度を通してきた。
 その、お互いの目線が同じ方向を見ているのなら、今更敵対するだけの理由もあるまい。
 素直にシキを信頼していると告げると、彼は幻聴でも聞いたかのような顔をして固まった。

「なっ……!」

 そんなシキのフォローをしている時間はない。
 シェール副団長が尖塔に行ったということは、この都市における指導者のうちの二人がそこに揃っているということになる。魔術師ギルド――尖塔の指導者は尖塔で寝起きしているから、この騒動に居合わせていないとは考えられない。
 つまり。

「リアム、尖塔だ。多分、あそこが一番大騒ぎしているだろう」
「蜂の巣を突いたみたいな?」
「精神防衛が不十分だったものが昏睡している可能性もある」

 経験の浅いものは魔術干渉をやり過ごすすべを知らない可能性がある。
 無限に繰り返される悪夢に心が折れて、精神を持っていかれるものがいないとも限らない。尖塔の管轄は魔術師だから、ソラネンにおいて最も広く魔力保有者が分布している。裏を返せば、魔術的弱者の絶対数が一番多いのもまた尖塔であると言えよう。
 そう、リアムに告げると彼は一瞬だけ固まって、それでも石畳の上を駆け出したサイラスの後を付いてくる。

「それってやばくない?」
「リアム。お前が今朝、目覚めてから『やばくない』瞬間があったのだとしたら後学の為に教えてくれ」
「もー、そういうときは素直に『やばい』とか『超やばい』とか言えばいいじゃん」

 やばいな。やばいやばい。そんな軽口を叩き合えるだけの余裕があるならば、尖塔での交渉もそれほど困難ではないかもしれない。先に駆け出したサイラスよりも傭兵であるリアムの方が脚力がある。あっという間に追いつかれて先導された。
 その背中の向こうから、大きな声が響く。

「トライスター!」
「何だ、マクニール。まだ用が残っているのか」
「俺も連れていけ! どうせ貴様のことだ無理無謀無茶は信条などと寝言をほざく前に俺の目の届く範囲で貴様の手助けをさせろ!」

 サイラスの脚力を考慮して速度を緩めたリアムの隣まで何の苦もなく並んだシキが全力で吼えた。
 吼えた内容が怒色に満ちた声色と相反して親切心に溢れている。
 何という思いやりに満ちた怒号だろう。こんなにも面白いやつだということを今まで知らなかったのがもったいない、とすらサイラスは思う。

「リアム。これは近年類を見ない不器用の標本なのだが、私は何を採択するべきだと思う?」
「大は小を兼ねる、らしいし選択肢は多くて困ることもないから坊ちゃんも連れてこう?」

 困ったらシェール副団長に押し付ければいい、とリアムの言葉の外にある。
 その言外の部分を一切、察することなくシキはサイラスの答えを待っている。溜息が漏れた。ソラネンの街は未だかつてない混乱の中に突き落とされようとしているのに、なのに、問題が具体化する度にサイラスは思った。この街に、サイラスの居場所が確かにある。そのことを何度も何度でも確かめながら、そういうかけがえのない場所を守るのだという気持ちを強くさせた。

「ということだ。マクニール、尖塔への先触れを任せたい」
「ああ! 安心して俺に任せろ! お前たちが来るまでの間に俺が――」
「いや、マクニール。私の訪問だけを告げろ。それ以外のことはなるべくしてくれるな」

 迷惑だから、とはとても言える筈がなかった。今のシキを見ていて迷惑だなんて思える筈もない。
 だから。

「マクニール。『ありがとう』」

 感謝の気持ちを言葉にした。振り返ってサイラスを見るシキは驚きではなく、順接の表情を纏っていて、そうしてサイラスはもう一つのことを知った。
 シキの中ではサイラスはとっくのとうに同胞だった。このソラネンの街にあり、平和と探求を享受する要素の一つだった。
 だからだろう。

「礼は全て終わった後に言え。俺も貴様と同じだ。感謝の言葉が聞きたくて善行をしているのではない」

 シキはそれだけを明瞭に言い終えると踵を返して、サイラスでは到底追いつけないような速さで尖塔へと向けて駆け出した。瞬きをする間に遠くなる背を追って、サイラスもまた止めていた足を前へと踏み込む。
 学問の道には幾つもの正解の形がある。条件によって分岐し幾重にも検証されることで姿を変え、そうして人の主観が導くままに幾千幾億の答えを導き出すのが本当の学問だ。
 その道程を知りたくて、条件がどこまで変わるのかを確かめたくて、ソラネンの誰もが今日も明日も道の先にあるものを追いかけている。

「セイ、ここはいい街だな」
「奇遇だな。私も今、そう思っていたところだ」
「奇遇じゃないだろ。必然だよ、セイ」

 お前と女将が十年も守ってきた大切な街じゃないか。
 言って隣を走るリアムが闊達に笑った。この切迫した状況下でよく笑えるな、と思ったが気が付けばサイラスもまた微笑みを返している。リアムというのは不思議なやつだと改めて思った。
 そんな二人分の足音が石畳の上を調子よく駆け抜けていく。
 ソラネンの青空に突き刺さった尖塔の足元に辿り着くまで残り数分。その数分の間にシキはいったいどんな連絡をしてくれているのだろう、と思うと不思議と不安はなかった。
 騎士ギルドと魔術師ギルドの上役たちを説き伏せる必要すらなかった、という驚愕の事実と対面する未来をまだサイラスは知らない。