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戴文輝(たい・ぶんき)は「信天翁(あほうどり)」の住居から追い出された後、怪異の区画に戻る道すがら副官である柯子公(か・しこう)に文輝なりの指示を出した。文輝は考えることがあまり得意ではない。一人で思索しても答えは得られないだろうし、この分野においては子公の方がよほど優れている。助力を請うには申し分ない相手だった。
まずは彼にも陶華軍(とう・かぐん)だった赤虎(せっこ)にも浸透していないであろう海藍州(はいらんしゅう)の黒茶についての補足情報を説明する。海藍州で茶の生産に携わることが出来るのは神民(しんみん)と呼ばれる部族だけだということ。神民は生まれで全てが決まり、他の部族との婚姻は認められていないこと。海藍州の茶の作法を知っているのは神民と彼らに仕える一族のものだけだということ。つまり、「信天翁」は海藍州の生まれで部族の特定まで可能だということと、実際問題としてそれを実行したところで「信天翁」は白喜(はくき)について口を割らないだろうということを文輝の最大限の説明力で話した。
「では貴様はこう言いたいのだな? 『白喜は神民である』と」
「――そうだ」
そこに至るまで文輝は幾つもの遠回りをした。だのに子公は最短距離で答えに辿り着く。文輝の推論から推測しているから、不必要な要素、不確定な要素が省かれているのだとしても、この速度は到底文輝では無理だ。子公に話すだけの価値はある。その確信を得たから、文輝は今、彼が持っているものを全て子公に伝えることを決めた。美しさも気高さも、醜さも酷さも隠すのを辞めようとやっと決めた。
「子公。神民は数が決まってる。『育ててもいい子どもの数に上限がある』と言い換えてもいい」
海藍州の中でも黒茶の栽培が出来る地域は限られている。初代国主が立ったとき。そのときにはもう海藍州の大地を茶畑に開拓する余裕はどこにもなかった。土地が広げられないのに民の数を増やすことは出来ない。そうすれば民は海藍州を出て別の「茶木を栽培出来る土地」を探すだろう。そうなると国が管理出来ない農園が生まれる。そうして密売の温床を抱えるぐらいなら、最初から茶木の経営を管理すればいい。茶木の品種も、茶畑を管理する民の数も、何もかもを管理することを国主は選んだ。
それはつまり。
「――念の為、聞くが上限を越えた場合はどうするのだ」
「――お前の思ってる通りだよ」
「文輝。私は、お前の言葉で聞かせろ、と言っている」
「お前、割と悪趣味だよな。そうだよ、堕ろす、棄てる、殺す。そのどれかだ」
「――随分と、まぁ酷い風習もあったものだ」
その通りだ。何の申し開きも出来ない。そして、そのことを文輝は恥ずこともなく、そういう地域もあるのだ程度にしか認識していなかった。自由と平等を謳ったこの国は、決して自由でも平等でもない。
中央集権の体制を取ったのにその中央が二重に連なった山々の最奥だ。その時点でこの国は地方に目を向けることを諦めたと言える。山々に守られた湖水の都で飢えも渇きもなく、首府以外の全てを放棄して偽りの安寧を生きてきた。
先の動乱の戦後処理の一環で、郭安州(かくあんしゅう)に至るまで四州にわたって旅をした。
中科――成人の儀礼の最後の年に文輝の上官だった劉子賢(りゅう・しけん)が見ていた景色を遡って見て歩いた。国官が民に望まれる存在ではないことを知って、そうして文輝は自らだけでも民に望まれる国官になりたいと願った。
水は低きに流れる。人も低きに流れる。
人を思うように動かすことより、自分を変える方がずっと簡単で何の波風も立たない。
だから、文輝もそうした。
自分の理想の為に犠牲になるものに目を瞑った。そんなものはいないという口車に乗った。愚かで、哀れな偽りの正義感に酔った。
そうやって守った自己満足で消えたものと巡り会う未来など小指の先ほども考えもしなかった。
「それで? 貴様は私にどうしてほしいのだ」
「こういう国でも、お前がまだ呆れていねえなら頼みがある」
「信天翁」は文輝にだけ気が付くような試し方をした。つまり「信天翁」が白喜と対面していいと考えたのは文輝一人だとも言える。もしかしたら白喜の贄にするつもりかもしれない。白喜がその怨嗟を晴らす為に九品(きゅうほん)の直系たる文輝を害す、というのはそれほど荒唐無稽な話ではないだろう。
だから、文輝はこの夜が明けたら行かなければならない。どこへ、なのかも、どうやって、なのかもわからない。幾日かかるのか、数刻で済むのかそれすらもわからない。
わからないが、文輝は国官であることを理由に「信天翁」と交渉した。その結果はまだ受け取っていない。それでも、黒茶を飲んだ文輝には「信天翁」の示すものを受け取る権利――と同時に義務が発生してしまった。今更知らぬ存ぜぬで通せる道理がない。
だから。
「お前も知ってるだろ。この国の城郭には必ず書庫がある。史書を探してくれ」