「如風伝」第二部 十四話
髪を、顔を、首を、胸を、腕を、脚を絶え間なく叩きつけるように雨が降っていた。樹木をその葉を打ち付ける音が無限に響いている。沢陽口(たくようこう)の東山に至るまで多雨の怪異に飲み込まれたのだ、と判断するのにそれほど時間は必要ではなかった。白喜(はくき)――至蘭(しらん)の姿はどこにもない。多分、彼女は未だあの夏の森にいるのだろう。蝉の声が響く中、巨岩に腰かけて――絶望を抱きながらこの事態を俯瞰している。
確証はなかったが、戴文輝(たい・ぶんき)は恐らくそうだろう、と推察する。そして、その推論は決して荒唐無稽な誤りではないことを状況が示していた。永遠の安寧の世界で見た巨岩がいっそ美しいほど縦に割れて文輝と同じように雨に打たれている。この場所で現実世界と至蘭の世界とが折り重なっている。至蘭がいるのはこの巨岩の紙一重の向こうで、そこからはきっと文輝の姿も見えているだろう。
「至蘭! 俺はまだ納得してねえぞ」
多雨の怪異の浸食を良しとして、絶望の狭間で揺れ続けている至蘭のことを想う。
あの夏のひとときは本当に穏やかで、鮮やかで到底手放せるものではない。それでも、その瞬間はここには最初から「なかった」のだ。
至蘭の語ったことが本当なら、白喜に昇華する以前の彼女がこの地の安寧を見た筈がない。
そして。至蘭は白喜となった後のことを記憶出来ていない。だから、あの風景は至蘭の願望だと断ずるしかなかった。いつか、どこかで願った型にはまった幸福の記憶。それが天仙(てんせん)の異能を以ってして成した幻影だ。
人は皆、楽園を夢見る。
目の前のつらい現実から逃避して美しい楽園を夢見る。
それは文輝にしても同じことで、より良い景色を見る為に誰もが今日に研鑽をする。明日の絵図を手に入れる為にしか人は努力出来ない生きものだ。学士たちはそんな自分たちの感情の機微に「向上心」という名を付けた。
その向上心が文輝に教える。
まだ、試していないことは山積していて、ここで諦めるには早すぎる。こんなところで全てを諦めて、放り出して逃げ出すのだけは絶対にごめんだった。
「至蘭! 至蘭!」
どす黒く曇った空の下は薄暗い。蝉どころか生きものの気配すら感じられない多雨の中、文輝は山林のどこかに至蘭がいないか、探し始める。どの木立の向こうにも、どの草葉の陰にも、どの岩石の傍にも至蘭の姿はなかった。
足元を覆う下草の向こう、土壌自体の水分量が飽和して泥と化している。生臭い匂いが辺りに立ち込めていた。時折、何かが弾ける小さな音が聞こえる。これは――木々の根が裂ける音だ。水分の飽和した土壌はその形を保つことが困難になる。支えを失いつつある木々は傾いて――そうして遠くない未来に崩落するだろう。東山の峰は決して低くない。沢陽口の城郭を押し潰すには十分すぎるほどの土砂が眠っている。
首府の東側の沼地。その呼び名は突如として湧いて出たものではなかった。
これだけの多雨が長期間続けば、当然、地盤は緩む。緩んだ土砂は崩れて堆積する。この地を人の住める土地とする為に、どうしても治水が必要だった。
西白国の文明はそれほど進んではいない。柯子公(か・しこう)が比較対照する青東国(せいとうこく)の方がずっと技術や文明の発達した文化国だ。
この国を支えているのは武断だ。律令もあるがそれは人が生きる標でしかなかった。刑罰はある。それでも力あるものが絶対であり、力の前では正論など何の役にも立たないということを文輝は知っている。知りたくもないのに陶華軍(とう・かぐん)と劉子賢(りゅう・しけん)が揃って教えてきたあの夜から文輝は前に進めないでいた。
正しさの答えを強がって華軍に示したりもしたが、結局文輝の中で答えは出ていない。
正しさは人を救わない。正しさは人を守らない。正しくても人は人を傷つける。そうだとしたら、一体人は何を信じて進めばいいのだろう。何を共有して生きていけばいいのだろう。万有の答えがない、という答えしか文輝は持っていない。
至蘭のことにしてもそうだ。
至蘭に全てを背負わせて、この城郭の礎となれというのは本当に正しいことなのか。少なとも至蘭はその務めをつらいと感じている。祈りも受けないで民の為にただ怪異を抑圧してきた。その結果が今だ。この事態は誰が望んだことなのか、文輝にはもう判断が付かなかった。
木立がみしみしと歪んだ音を立てている。限界が近い。わかっていたが、この場で何を採択するのが最善なのか。その答えを文輝一人が決めるのではなく、至蘭や子公たちと話し合って解決したいと心の底から願っている自分に気付いて、なるほど右官には不適格だと自嘲した。
その声が聞こえたのは巨岩が聳え立っていた地点から少し斜面を降りた辺りでのことだった。完全なる斜面ではなく、山道程度だが足場があり最低限土が踏み固められている道を登ってくる影が文輝の名を呼んだ。
「文輝! 無事か!」