Fragment of a Star * 06:買い出し

 慈しみの眼差しでスティーヴが言う。

「なら、自虐を装った自慢などお辞めなさい。わたしはどんなあなたでも、あなたを信じているわ」

 あなたを信じたわたしを信じてくれないというのなら、そんなに悲しいことなどないわ。だって、それはつまり、あなたがわたしを愛してくれない、という意味に他ならないもの。
 世界中の文献が集まっているというアラーリヤルのホル・ラース・ラー大中央図書院の書架をくまなく探して、それでも親愛を請う魔獣の記述が見つかる保証はない。だのに目の前のビンカはこともなげにヒトの情愛の一つを口にする。
 魔術を知らなければ、魔獣の生態など知らなければ。そもそも、魔力を持たずに生まれたならこの知の暴虐と言って差し支えないシジェド王国の情報の沼に接することなどなかっただろう。
 美しいだけではないその景色を見てしまったあの日から、サイラスの人生は変わった。

「——スティ。私は魔力を持たない『彼ら』がときどき羨ましくなる」
「大いなる畏怖も感じずに済むから?」
「自らの矮小さも知ることがない」
「いいえ、あなたはきっと勘違いをしているわ」

 あなたはその美しさに見合うだけの努力を重ねているのではなくて? 挑発的に柳眉が吊り上がる。この問いに否定を返せなければ、忠節をひるがえす、だなんてこともないだろうに彼女はサイラスの口から、どうしても何かを言わせたいようだった。

「スティ」
「いい? あるじどの。わたしたちはあなたに比べれば永遠に等しい時間を持っているの。試したいのなら気が済むまでお試しなさい。あなたの問いに腹を立てたりなどしないわ。その代わり、一つだけ覚えておいてほしいの」

 わたしたちはあなたの隣人である為にあなた以外の全てを敵に回す覚悟がある、ということを。あまりにも当然のことのように紡がれた声音にサイラスは言葉にならない何かを受け取る。知っている。知っていた。かつてテレジアがそうであったように、ヒトと契約を交わした魔獣は決して契約者を裏切らない。嘘も偽りもなく、彼らが思う「最善」で契約者に仕える。ヒトの世において何が善で何が悪かを魔獣は認識しない。ただ悠久のときを生きる彼らの固有の価値観で善なる行動を選ぶ。真実、サイラスの価値観に寄り添って欲しいのなら、サイラスは何度でも何百度でも魔獣たちと対話し、そうして共通認識を作り上げるしかない。
 魔獣と契約する、というのはそういう緻密なコミュニケーションの先にあることを多くのものは知らない。
 ただ、力で相手を従えているだけの契約者もいるだろう。
 自ら破滅願望を抱き、寧ろ力として利用しているだけの契約者もいる。
 それでも。多分。サイラスは魔獣と共生する契約者であることを望んでいる。その自覚もある。ファルマード・フィレニアが示した道筋から逸脱するのを恐れているだけかもしれない。そういうものであってほしいと願っているだけなのかもしれない。だとしても、今、サイラスと契約を交わした三頭の魔獣たちは皆、サイラスをあるじとして敬い、サイラスの生き方を容れようとしてくれている。
 だから。
 
「スティ。ならばあるじどの、などという余所余所しい呼び方を改めてくれ。私にはサイラス・ソールズベリ=セイ、という名がある」
「知っているわ。聖シルワヌス。わたしたちの名前と同じ。あなたはあなたたちの原初の存在に囚われ続けている」
「流石に悠久のときを生きるお前たちは知っているのだな。そうだ、かつてこの国が興るその遥か以前。大陸を統治した教皇の名を冠したのが私、というわけだ。そのことをこの国は忘れて久しいがな」
「あなたはその名で呼ばれることを良しとして?」
「そう思うのであれば、こう呼べばいいだろう」

 セイ、と呼んでもいい、と示す。サイラスの正面でスティーヴが柔らかに微笑んで言質を取ったことを何度も何度も確かめているようだった。

「セイ。よく覚えておくことね。名前は命を縛る。あなたがわたしに名前を与えたことをどれだけ悔やんでも、わたしはもう二度とあなたにそれを返さない」
「であれば、私はお前を力づくで滅ぼすまでだ」
「心優しい学士殿にそんな横暴が出来て? あなたはもう少し自己評価をきちんとするべきよ」
「スティ。私とてヒトを見る目ぐらいあるのだ。ましてダラスの魔眼を以ってして見誤ることなどどこにある。お前は私を害さない。ゆえに私はお前を排さない。ものごとの道理というのはそうなっているのだから」

 信じてほしい、と女鹿の魔獣は言った。
 愛してほしい、とも遠回しに請うた。その祈りに応えるものがあるとすれば、それは受容だとサイラスもわかっている。誰かを信じる、と示すのは決して容易くない。数多の言動の向こうにしか信頼は見えないし、それは次の一瞬で敢えなく砕け散ることも多々ある。奇跡の瞬間の積み重ねだ、としかサイラスには判じられない。その奇跡の一つを始めたいと思った。今日明日どうなることでもない。ならば、今、始めることに何の問題があろうか。明日の景色を知るものがいるとすれば千里眼の持ち主──神の眷属だけだろう。サイラスは魔獣と契約出来ただけのただのヒトだ。明日を知りたければ今日を生きるしかない。

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