Wish upon a Star * 13:Endless Morning(完結)

 サイラスが再び意識を取り戻したのは三日後のことだった。
 清められた病院の一室。クラハド・カーバッハの隣のベッドでサイラスは目を覚ました。
 サイラスが目覚めたことに気付いたクラハドがいつも通りの食えない笑顔で迎える。

「随分と遅い目覚めであるな、トライスター」
「……カーバッハ師。まだ死んでいなかったのか」
「死んでおったらおぬしの後悔が増えるでな。死ぬに死ねん」
「私の計算に狂いがあったことについては詫びよう」
「何。おぬしが我の命の恩人であることもまた代えがたい事実。命あっての物種、であるゆえな」

 明るく陽が差し込む部屋の中で、クラハドが闊達に笑った。この老爺を明るい陽の中で見るのはいつぶりだろう。いつもは尖塔の薄暗い部屋の中でしか彼に会ったことがない。だからだろうか。サイラスの知っているクラハドよりずっと年老いたように見えた。

「『あれ』は私の見た幻ではなかったのだな」

 大きくくり抜かれた窓枠の向こう、林野のそのまた向こうにそれ――ダラスの姿をした巨大な輝石が屹立している。夢か幻か、衰弱が見せた願望かと思っていたがサイラスの目に再び映っているということは現実として存在しているのだろう。少しだけ気弱な言葉を口にするとクラハドが豪快に笑い飛ばした。

「おぬしのおかげでソラネンの街を守るに十分足るだけの輝石が得られた」

 誇るがよい、ソラネンの守護者。おぬしは見事このソラネンを守り切った。
 言いながらクラハドが枕元に置いてあった鈴を鳴らして医者を呼んだ。助手たちから伝言ゲームが始まって、そうして年若いが技術は確かだと評判の副院長を務める青年が顔を見せる。

「トライスター。三日ぶりの現世はどんな気持ちだい?」
「副院長。疲労感はまだ残っているが、お前たちの顔を再び見られて僥倖だ」
「嫌だなぁトライスター。ここはおれの病院なんだからきちんと序列を守ってもらわなきゃ」

 副院長先生と呼んでくれてもいいだろ。それと敬語も忘れないでくれよ。
 言いながら病室に入ってきた副院長が助手たちから器具を受け取ってサイラスの診察を始める。口と態度は悪いが、医者としては優れている。最短の手順でサイラスの診察を終えると、医学的に問題はないから明日にも退院してくれとの返答があった。

「退院してもいい、の間違いだろう。副院長」

 憎まれ口か、と思いながら悪口で返す。副院長は軽い調子でそれを受けたが、声はどこか硬さを残していた。

「いや、してくれ、で間違いない。きみたちが出ていかないと診られない患者がまだいるからね」
「それほど負傷者が多かったのか」
「そういうわけじゃない。きみの適切な判断のおかげで負傷者は最小で食い止められたよ」
「では――」
「気持ちが不安定になっているものが多い。司祭たちだけではとてもじゃないけど相談の数に対処しきれないんだ」

 ヒトは心が一番肝要だからね。心の揺らぎはヒトの言葉か薬かで落ち着けるしかない。
 言った副院長の表情には歯がゆさが滲んでいて、彼もまたサイラスとは違う戦いの中にいるのだということを教えた。

「副院長、問題がないのであれば私はこのまま寄宿舎へ戻りたいのだが」
「駄目だ。きみの身体には尋常ならざる負荷がかかっていたんだ。もう一日大人しくしているように」

 では、よい午後を。言って副院長は病室を出て行った。
 部屋にはクラハドと二人に戻る。老翁は「おぬしが戻れぬのなら呼んでやればよいであろう、トライスター」と気軽に言った。誰を呼ぶ、というのをクラハドは絶妙にぼかしたが、それに気付かないほどサイラスも愚昧ではない。

「魔獣の末端が三体も揃えばヒトの精神の均衡が危ういだろう」
「おや、トライスター? 我はおぬしの友人の話をしただけだが?」

 ジギズムント伯と腹を割って話してみたらどうだね。我はその間、院内を散策するゆえ。
 言ってクラハドは本当に部屋を出ていってしまう。あの老翁は有言実行の権化だ。サイラスがウィリアム・ハーディ――と呼ぶのが正直なところ正しいのか誤っているのか、今のサイラスには判断が付かない――と和解するまできっと部屋には戻って来ないだろう。狸爺め。そう憎らしく思ったが、それでも、サイラスの中にリアムと和解したいという気持ちは確かにあったから看護助手を呼んでリアムと連絡を付けてもらった。
 それからものの十分と経たないうちに石組の廊下をばたばたと慌ただしく駆けてくる足音が聞こえたかと思ったら、両耳の鼓膜を破らんばかりの勢いで大音量が響く。

「セイ!」

 無事に目が覚めたって本当か。本当なのか。半泣きと言ってもいいぐらい無様な顔でリアムが病室に飛び込んできた。
 知っている。このリアムはサイラスの知っているただのウィリアム・ハーディだ。彼がジギズムント伯であるなどただの戯言だったと本気で信じたくなるぐらいに、リアムはいつものリアムだった。

「――大声で叫ばずとも聞こえているに決まっているだろう、リアム」
「まだ、その名前で呼んでくれるんだな、セイ」
「私はもう王都の市民ではないのでな。ソラネンの街においてお前はただのリアムだ」

 だから、今更彼がジギズムント伯だろうが何だろうが一年にふた月だけの友人であることに変わりはない、と告げるとリアムは嗚咽を漏らした。

「セイ……ごめん、本当、騙すつもりじゃなくて……言っても信じてもらえないと思ってたし、言い出す頃合いがわかんなくなったっていうか……本当にごめん」
「本当に悪いと思うのなら、お前はそのままリアムでいてくれ」
「えっ?」
「……私は、ジギズムント伯のことを憎んでいた」

 リアムの先代のジギズムント伯のことだ。全てを失ったサイラスのことを守ってくれなかった酷い存在だと逆恨みをしていた時期がある。それはリアムには何の関わりもなく、そして何の責任もないことだ。だから、リアムに――どころか誰にもこの話をしたことはない。
 年月が過ぎ、サイラスはソラネンに育まれ人には様々な状況や立場があることを知った。
 そうして、人を許すことと人を慈しむことを覚えたサイラスだったが、友人と呼べる存在が出来たのはリアムが一番最初だった。

「私はもうこれ以上、故郷も友人も失いたくないのだ」
「セイ、お前――」
「ジギズムント伯にトライスターの友人が必要なのならばそう言え。HARDYの名を冠したお前のことも私は友人として受け入れよう。それで? お前は私に何を望む」
「――セイがソラネンのこと、凄く大事にしてるって今回のことで嫌ってほど思い知った。俺よりもソラネンの方がセイにとって大事なんだってのもわかってる。それでも、俺はお前に頼みがあるんだ」
「ジギズムントの王立学院で教授をしてくれ、以外の返答なら考慮しよう」
「そんなつまらないこと、俺がお前に頼むかよ」

 セイ、この国の為に俺と旅をしてくれないか。
 真剣そのものの表情でリアムがそう言う。
 言葉の意味を裏の裏の裏の裏まで考えて、そしてサイラスは表しかないと思っていた筈の友人のことを疑おうとしている自分を殴りつけた。

「お前ももう気付いてるだろ。父上は長くない。国は荒れる。そのときに俺はジギズムント伯として出来る限りのことをしたい。その為に、お前が必要なんだ」
「お前は私に二度、故郷を棄てろと言っているのと同義だと気付いているか」
「わかってる。最低な頼みだ。それでも、俺はお前の街を想う気持ちを利用したいんだ」
「――リアム、そこは嘘でもいいから助けてほしい程度に丸く収めろ」
「嘘なんてお前には何の意味もないだろ。だから、素直に頼むよ。俺と一緒にこの国を守るすべを探してほしいんだ」

 ひいてはそれがソラネンを守ることにつながっているだろうから。
 言い切ったリアムの頬を何の予告もなく握った拳で殴りつけた。サイラスの初動など見えきっているだろうにリアムは避けるどころか構えを取ることさえなく、ただ殴られた。それが彼にとっての決意なのだということは言われなくてもわかる。償いではない。贖いでもない。ただ、自らがしたことの報いを受けようとしている。その潔さをサイラスは決して憎くは思っていなかった。

「殴った私の手の方が無駄に痛むではないか」
「セイは根っからのもやしだからなぁ」
「お前は演技でもいいからもう少し痛そうな顔をしろ」
「えー、俺とセイの仲で嘘とか本当意味ないじゃん」
「全く。本当に困った友人だな、お前は」

 クラハドが先に言っていた台詞を思い出す。神の奇跡によって生じた天然の魔石にはソラネンの街を守るのに十分な魔力がある。それは、多分、こういう未来が待っているとわかっていたから先に言ったのだろう。
 天才と呼ばれてもまだまだ十九年しか生きていないサイラスの何枚も上を行く老翁にあと十年は到底手も足も出ないのだろうと思うとそれだけが少し悔しかった。

「セイ、いいのか?」

 何度も何度も何度でも確認の言葉を投げかけてくるリアムを見ていると、テレジアに出会う前の自分を見ているようでどこか歯がゆさを感じさせた。
 いいとも。ソラネンの街はあの輝石がある限り、十年はゆうに守られるだろう。そう出来るだけの知識と魔力が今のサイラスには備わっていた。
 問題があるとすれば、それはサイラスの中ではない。

「いいのだろう? 立ち聞きをしているわが師よ」
「えっ?」

 ぞろ顔ぶれを揃えて戻って、何が散策か。仕切り布の向こうにいるクラハドにそう、嫌味を投げつけると老翁は「何、偶然とは恐ろしいものよ」と言ってサイラスの目覚めを待っていた一同を中に通した。
 三体の魔獣、各ギルドの指導者たち。それからシキ・Nマクニールの姿もある。

「マクニール。お前までも立ち聞きか。随分といい趣味をしているな」
「なっ! 俺はそのような卑怯な行いは決して――」
「ならばそういうことにしておこう」

 それで。よいのか、カーバッハ師。元老院と王立学院の許諾証でも持っていれば満点の大根芝居だ。半ば冗談でそう煽ると、指導者たちが苦く笑った。

「あまりそう褒めてくれるな。トライスター」
「この方は全てのギルドの許可を得てこちらにおられるのです」
「なんのなんの。我の方が先に目覚めたということには因果があるはずであろうからな」

 サイラスが意識を失っていたのはたった三日だ。
 クラハドも相当に深い傷を負ったとみていたのに、と思う。
 思うと同時に別のことも思った。ソラネンの街はこれから復興の道を歩まなければならない。その道にサイラスは不要なのだろうか。そんな一抹の不安が胸をよぎる。薄っすらと曇った表情の論拠を察したクラハドが表情を緩めた。

「――本当に、よいのか」
「トライスター。おぬしには十年世話になった。向こう十年もおぬしの術式に頼ることになろうが、我らの為だけにおぬしを繋ぎ止めるわけにはいくまい」

 その言葉に指導者たちは各々の表情でサイラスに微笑みかけた。
 彼らの笑みがサイラスの背を押す。使い捨てられたのではない。用済みだとか、利用価値がなくなっただとかそんな無粋な理由でもない。この街はまだまだサイラスのことを必要としている。
 それでも。
 それ以上にサイラスが必要な場所があるのなら。そこに信頼に足るトライスターを貸し出すのはソラネンにとってもまた誇りである、と彼らは言った。

「行くがよい、トライスター。そしてその目でその耳で、その手足で世界の理を一つでも多く見聞せよ。そしていつでもよい。またこのソラネンへ戻ることがあれば、我らはおぬしを心から歓迎しよう」
「新しく古いままのソラネンの街で君をいつまでも待っていますよ、トライスター」

 クラハドに続き、シェール・ソノリテが騎士ギルドを代表して餞別の言葉をくれた。その後に幾つかのギルドのものが言葉をかけてはこの場を辞去する。その繰り返しで、最後にはクラハドと三体の魔獣、それからシキの姿だけが残った。
 その和やかな空気の中、テレジアが複雑な表情のままおもむろに口を開く。

「坊や。あんたにはいいんだか悪いんだかよくわからない知らせだと思うがね、あたしはここで留守番さ」
「――もしや、同属共鳴か」
「あんたに隠しごとは出来ないねえ。そうだよ、その通りさ、あたしの脚ももろとも輝石になっちまったからねえ。骨の爺にもどうにも出来ないって言われちまったのさ」
「――すま」
「謝るのはなしだよ、坊や」
「だが」
「言っただろう。あんたがいなけりゃ、あたしはあの夜に死んじまってた運命さ。あんたの為に使えるのなら、そりゃ本望ってもんだろう」

 だから、ずっとずっと、この街で寄宿舎の女将として待っているからいつか、安寧のソラネンを思い出したらまた立ち寄ってほしい。そう言ってテレジアは本当に心の底から綺麗に笑った。
 サイラスとテレジアのやり取りを隣で見ていたリアムがいつからか号泣の状態に入っている。
 どうしてお前が泣いているのだとリアムを小突くと、本当にわんわんと声を出して大泣きを始めてしまった。

 人生という道に正答はない。人の数だけ答えがあり、その価値を決められるのは当の本人だけだ。
 苦しい道の方が価値が高い、だとか、楽な道を選べる方が有能、だとかそんなことは価値観次第でどうとでも変わる。自分自身に胸を張れる自分であること、を志したサイラスの道は今、一つの成果を得た。
 その答えに慢心せず、次の答えに向けて最善を尽くす。
 それが、サイラスの道で待っている宿命なのだと受け入れ、くさらず、そうしてまた答えを得るまで走り続ける。
 明日の空は明日の自分しか知らない。だから。

「魔獣退治? いいよ、引き受けよう」
「リアム! お前は安請け合いをするなと何度言えば――」
「いいじゃん、セイ。お前だってそろそろ素材不足だろ?」
「――お前に説教をする時間の方がよほど無駄のような気がしてきた」
「だろ?」
「いや、傭兵。貴様は何も褒められていないと俺は感じるのだが……」
「坊ちゃんも早く勲功あげてソラネンに帰りたいくせにー」
「それとこれとは話が別だ!」
「――わたしたちの新しいあるじは本当に難儀ね、フィル」
「まったくだ、スティ」

 そんな雑談を交わしながら、何ごとでもない日々が続いていく。
 賑わいの中旅をするサイラス・ソールズベリ=セイの道行きが答えを得るまで。この旅はまだ終わる気配すら見せないでいる。