Fragment of a Star * 05:天乙女

 一つの術式——今はカフスだ——の効力を持続させながら、別の輝石と共振出来る術者はシジェド王国中を探しても数人いるかいないかだ。だからこそサイラスは「SSS(トライスター)」の学者の肩書を手に入れた。その名誉に相応しい人物になりたかった。学んだ知識でヒトを守れるような、そういう大人になりたかった。
 その機会が今また目の前にある。
 馬車街全体を包んだ不可視の天幕の内側にもう一層、不可視の天幕を形成する。あまりにも強い魔力に中てられてしまうのを防ぐ防衛魔術の一つだ。一旦、馬車街の上空に術式を打ち上げてから地表へと向けて降下させる。そうして、ヒトビトの表面にぴたりと沿うように防衛魔術を適用すれば準備は完了だ。その薄い被膜を通してサイラスが魔力の絶縁体となることが出来る。
 その術式を展開し終えたことを確認してから、サイラスは上空のフォノボルンを振り仰いだ。
 彼女もまた、ヒトとしてあるべき大きさ、かたちとなっている。この状態であれば彼女を地上に迎えても問題がなさそうだ。

「フィル。障壁を解く。天乙女を地上まで導いてやるといい」
「相も変わらず君は本当に防衛魔術に関しては天才的な素養を持っているとしか言いようがないよ」
「ソラネンは専守防衛の都市だ。誰かを害するすべに長けたものなどおらんよ」

 たとえそのすべを知っていたとしても実行するものなど誰一人としていないと断言出来る。
 サイラスの招きに応じて、鷹の姿のままのフィリップとヒトのかたちをしたフォノボルンが中空よりゆっくりと舞い降りてきた。サイラスの防衛魔術が作用した馬車街は混乱ひとつなく彼女の到来を受け入れる。蒼い髪もいつの間にか艶やかな黒に代わっていた。
 それを見届けてサイラスは持論を展開する。学術都市・ソラネンにあっては守るためになら皆、力を行使するだろうが私利私欲の為にそうするものなど決していない。だからだろう。学術都市が育んだトライスターの学者にとって防衛魔術など得意中の得意としか言いようがなかった。

「学問はヒトを傷つける為にするものではない」
「では君は何のために学問を続けているのだい?」
「決まっているだろう。より良い明日を見る為だ」

 自らのことを知り、世界のことを知り、隣人のことを知ってその最大公約数とでも言うべき明るい未来を切り開くのが学者の務めだ。畑を耕すことも、道を均すことも、家を建てることも、武器を打つことも、商いをすることもサイラスには出来ない。それでも、サイラスが見つけた新たな知がヒトビトの暮らしを上向きにすることもあるだろう。それは学者の人生の中に何度もあるわけではない。一つの発見すら出来ないで終わる学者などごまんといる。その中でサイラスは他の学者より多くの未来を見つけ出した。
 トライスターというのはそういうヒトビトの希望に与えられた呼称だ。
 だから。

「薬の調合を知れば、良薬も毒薬も作ることが出来る。それでも、毒薬をヒトを害する為だけに作るものがいるとしたら、それはもう学者である所以を失っているのであろうよ」
「なら、どうして毒薬の製法などを学ぶのだい? 知らなければそんな危険とは最初から出会わないだろう」
「毒を中和する方法を知る為、だとか、毒がどこから来るのかだとかの知識があればお前が言うように『最初からそんな危険と出会わずに済む』のだと私は認識している」

 学者はヒトビトの為に学問をする。
 ただ、それを悪しき目的に使うものがいることも当然承知している。
 だから、サイラスはその次の知識を欲した。
 自らの成した学問でヒトが傷付くのなら、それすらも防ぐすべを見つけ出したいと願った。誰かを幸せに出来る共有知を言語化したかった。ただ、それだけのことなのだ。

「さて、麗しき天乙女よ。あなたのラルランディア・ル・ラーガ殿に会いに行こうではないか」
「『月光の君』もラルランディア様にご興味がおありなのですか?」
「いや。私は色恋については特に感慨がない。だが、魂の流転についての興味深い研究が出来そうではないか。当事者に直接フィールドワークが出来るというのに洗濯など後回しで十分だ」
「トライスター。君はもう本当に自分の道を歩くことについては最強の学者だね」
「全能になりたいのではない。それでも、事実と事実があるときに交差して新しい結びつきを得ることは多々ある。すそ野を広げるという行為はそれなりに価値があると私は考えているだけだ」

 向上心に満ち溢れた君の人生がいつか座礁しないで済むように祈ってあげるよ。
 苦笑いを浮かべながら聖職者の姿へと変貌したフィリップとフォノボルンが地に足を付けた。その優美さを語るのには王国共通語の辞書が何冊必要なのか。サイラスは自らの白銀を棚に上げて束の間嘆息する。
 サイラスの張った防衛魔術などいとも容易く貫通して、二体のヒトならざるものが顕現しているが、馬車街は安寧を保っている。自らの術式の効力を確かめてサイラスはカフスと共鳴させていた魔力を完全に停止する。琥珀色はまだその鼓動を保っていた。古獣の牙の持つ魔力の甚大さに感嘆しながら、サイラスは自らの小ささを今一度知ったような気がする。

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