Fragment of a Star * 05:天乙女

 この世界では性別そのものに意味がある。
 男性は時間を、女性は空間を司る。
 魔獣としての性別が男であるフィリップには決してなし得ないが、スティーヴやフォノボルンといった女妖の類には空間同士をつなげる権利があった。魔力が高ければより遠くの空間を結ぶことが出来る。フォノボルンほどの存在であれば、今、この北門の手前から馬車街の中央にある聖堂の付近までを直結することは決して困難ではないだろう。
 但し、その前提には多量の魔力の行使がある。フォノボルンの魔力から馬車街のヒトビトを保護しながら、その魔力を行使させるとどうなるか。王立学院の学生でも十分にわかることだ。サイラスが防衛魔術の維持に更なる魔力をつぎ込むことになり、サイラス一人が莫大な疲労を抱え込む。
 不可能か可能かの次元なら理論上可能だ、とサイラスは考えている。
 その二元論の域をもう少し広げて、不可能か、比較的可能か、比較的不可能か、あるいは可能かの四つの選択肢を用意すると間違いなく比較的可能という下から数えて二つ目の解を選ぶほかない。
 比較的まし。比較的合理的。比較的現実的。
 冠詞が付いていなければなお良かったのだが、現実はそれほどやさしくはない。
 そこでサイラスは本命の選択肢を提示した。

「そうか。では第三の選択肢だ。お前が、ここでフォノボルンを説得しながら私が人数分のフラップを買ってくるのを待ってくれるのだな?」
「——君は、そういうところがよくない」

 最終的に選ばせたい答えに至るまでの筋道を一つずつ削いでいくのがサイラスの「戦い方」だ。理論と感情を調和させ、幾ばくかの合理性を感じさせながら、本人の意思で決定させる。
 フィリップは決して暗愚ではないのだろう。
 サイラスの誘導尋問に引っかかったと自覚し、そのうえでサイラスの「戦い方」を批判した。

「トライスター。僕たちにまで欺瞞を強要するのはやめてもらえないか。君は僕たちのあるじだ。そんな安全圏から遠距離射撃をしなくても、君が望むのなら僕がそれを叶えるのは吝かではないし、第一、信じてほしい」
「そういうつもりではなかったのだが」
「そういうつもりじゃなかったのならなお悪いよ。『命令』をするのならまだいい。でも君は今、『理解』を強要した。信じているのなら、素直に頼んでくれればいいんだ」

 君の中で王子様にそうするように。
 最後に結ばれた言葉を聞いたとき、何故か胸の奥が詰まったような感覚を抱く。
 ああ、そうだ。サイラスは今、「戦い」を選んだ。相手に自分の思う道を歩かせる為に「戦って」「勝つ」ことを望んだ。それは利害関係にある相手にする行為で、信じられる隣人に向ける態度ではない。傲慢に命令を押し付けるより、よほど酷い方法でフィリップと対峙した自分を知らされて、サイラスは天を仰ぎたいほどの自己嫌悪を御しかねていた。

「フィル。言い直そう。ときを戻すことを私は望まない。宿屋の私の部屋で、フォノボルンと共に待っていてくれないか」
「君は本当に仕方のないあるじだね。最初からそう言うっていう選択肢を次からはちゃんと覚えておいておくれよ?」

 僕は君の手足となることを嫌ってはいないのだから。
 言って鷹の魔獣は緋色の双眸をそっと眇める。フィリップがこの手の柔らかな表情を見せるのは今が初めてのことで、いつの間にこんなに信頼されたのだろう、と少し不思議だった。
 ハルヴェルの女妖はそんな二人を見つめながら「樫の君にもようやく青春時代が訪れたのでございますね」とうっとりとした顔をしている。フィリップにとっての青春時代など数十年も百十数年も前の概念だろう、という疑問を視線で投げかけると、彼は気まずげに視線を逸らし、言う。

「前のあるじも、前の前のあるじも皆、君の師匠のような老骨だったんだ」

 人生の終焉の手前に立っている彼のあるじだったヒトは皆、既に悟りの境地にいてフィリップはヒトの思考を学ぶことはあれど、あるじに説教をした経験がない。
 その告解を聞いて、サイラスの胸の曇りは少し薄れた気がした。

「青臭い理想論をお前に説くのは私が最初、というわけだ」
「それがいいか悪いかは別として、ね」

 君は年齢も若い。気にすることじゃない、と言ったフィリップはヒトにはそういう時期が必要だと理解しているとさも言いたげだった。
 だから。
 サイラスは自己弁護の言葉を探すのをそこで中断した。
 この、鷹の魔獣の青年は今、サイラス自身の言葉を必要としている。

「フィル。私には兄弟がいない」
「奇遇だね。僕にも兄弟はいない」
「お前たちは契約を重んじるが、私には下僕や従者は必要でないのだ」
「では君は何を望むのだい?」
「それを私に明言させるのは先の意趣返しか? そうだな。こう言おう」

 ときに兄として導き、ときに弟として手を煩わせてはくれないか。
 あるいはサイラス自身をもそういう存在と受け入れてくれないか。そう願うと鷹の魔獣は「君が願うのであればそうあれるように努めるよ」とそっと微笑む。
 そして。

「行ってきなよ、『セイ』。君が人数分のフラップを買って戻るまでの間、洗濯でもしながら待っていてあげるさ」
「魔力の無駄遣いではなかったのか?」
「僕たちの魔力がそのぐらいで枯渇するはずないじゃないか。君たちヒトでもあるまいし、洗濯ぐらい四半刻もあれば十分だよ」
「まったく、口の減らないやつだな、お前は」
「さぁさぁ、フォノボルンの気が変わらないうちに。彼女の分も忘れないでおくれよ?」
「当然だ」

 言って、サイラスは荷物をフィリップに預けると踵を返す。
 鷹の魔獣と天乙女の共同作業で実施される洗濯の結果、サイラスはどんな香りを纏うことになるのだろう。その未来を考えるとサイラスの胸の奥は高揚してやまない。未知の未来を観測するまで残り四半刻。聖堂前のフラップ屋を目指して、サイラスは馬車街の中心部へと再び歩き出した。

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