「如風伝」第二部 十二話

 信じるしかなかった。この広大な沢陽口の城郭で白喜を探し出せる、という壮大な結果を弾き出す。そう信じて城郭を歩き回るしかないのだ。文輝と言葉を交わしてくれる存在は、もうこの城郭には白喜しか残っていないのだから。
 七日。子公は文輝に七日の猶予を与えた。彼が文輝のことをどの次元まで忘れてしまうのか。答えは持たないが、子公なら期日を越えればきちんとした対処をしてくれると何故だか信じられた。
 七日しかない。急ごう。腹を括って、文輝は府庁(やくしょ)へと向かった。そこに行けば必ずあるだろう。白帝廟の位置を示した地図を辿っていけば何らかの方策が示されるかもしれない。可能性を見出した行為が文輝の古傷を抉る。あの日。あの夕刻。あのときもまた、白帝廟を巡って駆けた。そうだ。どうしてだかわからないが、文輝の人生の岐路において白帝廟が関わってくる。
 神と神の諍いに巻き込まれて人生を振り回されている。
 子公の言う通りだ。わかっていたが、文輝はその運命を忌避出来なかった。ここは神龍の国だ。神龍に見出され、国土を統治する長を決めるのに文輝の先祖は槍を貸した。その血統を色濃く継いだ文輝には神と神の諍いを最後まで見届けるという責務がある。長兄でも次兄でも同じことをするだろう。
 だから。
 ここで怖じている時間はない。自らの不遇を嘆く時間もない。
 竦む心を叱咤激励して、そうして文輝は府庁に辿り着いた。
 沢陽口全体の地図は役所の一角に丸めて置いてある。岐崔の中城(ちゅうじょう)において各部の案内所での保管と大差なかったから、取り扱いに困ることはない。紙筒の中に入っている羊皮紙を引き抜いて、卓の上に広げる。白帝廟の所在を示す白の二重丸を探すと、この城郭には十二あることが判明した。七日あるとは言え、十二か所の巡回で時間の全てを費やすわけにはいかない。文輝は府庁の書棚から別の資料を引き抜いた。二十四白は通常、大白(だいびゃく)と小白(しょうはく)が一対になっている。同じ「白」の字を冠するが読み方で序列が決まっており、大小揃って祀られるのが殆どだ。文輝の生まれである戴家は白瑛と白成(はくせい)の二柱を主に信奉している。その二柱以外は名と何の獣の姿をしているか、ぐらいしか文輝は認知していない。大小の組み合わせもまたはっきりと覚えているわけではない。
 書棚から引き抜いた資料を捲る。
 白喜が祀られている廟に当たりを付ける為に頁を繰った。
 史書を当たってくれ、と文輝は子公に依頼したのはまだ覚えている。白喜の詳しい出自などは子公が明らかにしてくれるだろう。だから、文輝がすべきことは白喜を探し出すことだ。探し出して保護する役目の為に華軍は「眼」を貸したままにしてくれた。
 それぐらいの分別は付く。
 余分なことをしている時間はない。初科(しょか)中科(ちゅうか)修科(しゅうか)と学問は修めてきた。最低限の資料探索のすべはわかっている。斜め読みしながら、文輝は白喜の対となる大白を探した。
 一冊目の資料は見当違いだと半分読んで気付く。二冊目は最初の三頁で投げた。三冊目の資料を前から四分の一程度読み進めると文輝の望む記述が見つかる。
 白喜の対は白才(びゃくさい)という名の白馬の天仙であることが判明した。
 その二柱が祀られている廟の所在も次の頁に記載されている。東山の四阿(あずまや)――という記述を見た瞬間、文輝の脳裏に例の景色が蘇る。東山の登山道へ続く山門。そこに立っている筈の衛士の不在。石華矢薙(せっかやなぎ)という怪異の跋扈。土砂に押し潰された四阿。
 左官たちが言葉遊びしている「鳥が先か卵が先か」という哲学の命題が頭に過ぎる。
 怪異が先か、二十四白の衰退が先か。そうして文輝はもう一つ、子公が言っていたことを思い出した。
 沢陽口の才子の総元締めである「信天翁」は東山の四阿にいる。
 そう言われたから文輝たちは東山に登った。
 幾つになるのか想像も付かない「信天翁」は四阿で――白喜を祀る廟のすぐそばで沢陽口の城郭を見守っていたのだろう。「信天翁」にそうさせたのは何だ。海藍州(はいらんしゅう)の生まれで、不条理な神民(しんみん)の制度に憤り、そして白喜を静かに祀ることを選んだ。そんな仮定が生まれて消える。違う、神民の制度が生まれたのは西白国の統治後だ。それでは白喜の出自に説明が付かない。では何だ。何を見落としているのか、その答えに迷って文輝は今一度東山に赴くことを決めた。
 東山の斜面は石華矢薙が覆っている。
 その奥に進む為には神器(じんぎ)が必要だ。今から文輝の為に拵えてもらうのでは間に合わない。府庁の備品を探すより、鍛冶屋通りに赴いて勝手に拝借する方を選んだ。律令に照らすまでもなく窃盗の罪を負うことになるだろう。わかっている。だが、それを逡巡している時間すら惜しい。それに、文輝は同じ罪を負うことを子公に課した。自分だけが手を汚したくないなどと言っていられる場合ではない。
 文輝は府庁を出て東へ駆けた。鍛冶屋通りはこの次の角を北に上がればすぐだと地図は示している。
 果たしてそこには鍛冶屋が軒を連ねる区画があり、工匠たちが黙々と武具を作っていた。
 神器というのは打ち手が決まっている。金属を打ち付ける槌の音が響く中を、文輝は銀色の環が描かれた屋号を探す。銀環――「しろがね」というのは白銀のことであり、神の加護を受けていることを示していた。だから、銀環が掲げられたもの、すなわち、神器の作り手だということだ。
 熱波の中、文輝は只管に銀環を探した。中城の鍛冶屋通りにおいても銀環の鍛冶師は二軒ほどしかない。沢陽口の城郭の規模を鑑みればあっても一軒だろう。ざっと見ただけでも十数軒の鍛冶屋が並ぶ中、文輝は足早に通りを巡る。銀環は一番北の石造りの鍛冶部屋の看板の上にあった。それを目視した瞬間、文輝は工房の中に飛び込む。完成した神器をその辺りに転がしておく馬鹿ものなどいない。神器を打てる工房とは言ってもすぐに得物は見つからないだろう。わかっていたが、文輝に選択肢はない。最悪の場合、今、刀匠が打っているものを奪おう。強盗の罪も背負う上に未完成の得物となるが、それに構っている場合ではなかった。一心に槌を打ち付ける刀匠を背に、文輝は工房の中を見て回る。盾――は見つけた。小ぶりだが文輝自身を守るぐらいには十分役に立ちそうだった。
 黒鉄色の盾を手に取り、確かめていると不意に背後から声がする。

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