「如風伝」第二部 十四話

「委哉。お前にとって俺というのは何だった」
「小戴殿を見つける為の試金石だよ。それ以上でもそれ以下でもない。今となっては僕はもう君と行動を共にする理由もない。小戴殿を信梨殿に引き渡したら、ここでお別れだ」
「その結論で後悔しないのだな?」
「勿論。僕たち怪異に二言はない」

 人とは違う、と皮肉気に笑った委哉の言葉には応じることなく赤虎が文輝と子公を振り仰いだ。
 その姿がかつて兵部警邏隊戦務班にいたときの通信士だった華軍の姿を想起させる。才子であっても、通信士であっても、赤虎であっても、華軍の本質は何も変わっていなかった。
 強い琥珀に射止められて文輝の心臓がゆっくりと波打つ。少しずつ――本当に少しずつ鼓動は早くなって、そうして文輝は知った。
 まだ、文輝は戦ってもいない。
 こんなところで諦める為に半月の時間を浪費したのではない。

「軍師、聞いたな? 俺とお前と小戴はこの瞬間から自由だ」
「――貴殿はどうされるのだ」

 文輝を挟んで華軍と子公の交渉が始まる。
 神々の思惑に乗るのか、それを阻むのか、それとも全く別の答えを選ぶのか。
 華軍は子公のことを確かに評価して、同じ問題に向き合う朋輩として扱っていた。
 琥珀に射られた紫紺が束の間、息を呑んでその次の瞬間には現実と向き合い始める。
 
「俺は二度も同じものを失うのは耐えられん」
「なるほど。利害は一致している――と?」
「小戴。少し時間を食ったが現状は悪化する一方だ。しっかりしろ」
「ですが、華軍殿」

 状況を変えられるような切り札はどこにもない。
 その主張には虎の顔だったが華軍は確かに微笑むのが見えた。

「聞こえるのだろう?」
「えっ――?」
「お前の耳にも土鈴の音が聞こえているのだろう、と言っている」
「――はい。華軍殿のお耳をお借りしているのですから、それはそうです」
「ならば乗れ。お前が真に必要と思う行動を選べ」

 土鈴の音が聞こえる耳も、真実の名が視える紅の双眸も、どちらも既に文輝そのものに馴染んでいる。今更、華軍と別離したところで失われないだろう。そんなことを言いながら華軍は文輝と子公の二人ともを背に載せて駆け出す。
 神々は人のなすことなど如何様にでも管理出来ると思っているのか、黙って見ているだけだった。
 無駄な足掻きかもしれない。ここで抗っても何の利もないのかもしれない。
 それでも。
 どうしても。
 どれだけ自己満足でしかなくとも。文輝は至蘭のことを放っておくことはどうしても出来なかった。

「華軍殿。至蘭を探したいのです」
「私に心当たりがある。赤虎殿、一つ向こうの山肌に土砂崩れの跡がある」

 そこへ向かってくれ、と子公が依頼すると赤虎はその逞しい四肢で山林を移動する。大人の男を二人も載せているとは思えないほど軽やかな足取りで赤虎は進み、子公の言う地点へは間もなく辿り着いた。
 木々は支えを失い、地肌に横たわる。石くれがあちらこちらに山積して、地表は赤土に覆われていた。その中に、朱塗りの木材の破片が見える。その一つを指さして「あれは白帝廟の分廟の柱だ」と子公が告げた。言われてみれば、確かにそうであった面影が感じられる。

「文輝、白喜の神像はこの近辺で消失したと考えられる。探すのだろう?」
「――あぁ、そうだ」

 ただ、この土砂崩れが起きたのは昨日今日の話ではなく、それどころか数回、崩落を繰り返した痕跡が見受けられる。一番最初の崩落で分廟が流されていたら、その中から神像を探し出すのは困難を極めるだろう。
 それでも。

「――手伝ってくれるのか」
「放っておいたら貴様一人で探すつもりだろう。そんなことをしている間に、あの女狐の思う通りにことが運ぶのは我慢ならん」
「それには俺も同意する。俺をいいように利用してくれた『恩人』には報いねばならんだろう」
「子公、華軍殿――」

 この局面にあってなお、一人ではない、と思えることがこのうえなく心強かった。同じ理想の為に心を砕いてくれる誰かがいることが心底ありがたかった。
 だから。
 どんな気持ちで二人が文輝の手助けをしてくれるのかを精査する必要はどこにもない。
 どんな理由ででもいい。二人は、今、文輝の望みを優先してくれた。信じていい。二人のことなら信じられる。

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