だから。
「いいのではないか。悔いるのもヒトの特権だ。私はお前たちと共に『悔いのある最期』を駆け抜けるのも悪くないと思っているのだが?」
「——本当に、あなたって変わっているヒトね。普通は皆、悔いのない最期を望むものよ」
「ヒトの命が巡るのであれば、悔いのある最期の方が輝いているだろう」
誰も明日の景色を知らない。その明日をもっとずっと、いつまでも見ていたいと願えることこそが至上の喜びだとサイラスは判じた。命が消えるその瞬間もまだ明日を願えるのなら、サイラスの命の旅はきっと実りある何かを掴めるだろう。
「それで? 前向きな学士殿はもう気持ちの整理が付いて? せっかくあなたが買い集めたフラップが冷めてしまうわ」
スティーヴの靴先がこつり、と街路を蹴る。その音に導かれるように両手に抱えた荷物へと意識が戻った。まだ温かさの残る紙袋を抱え直すと、先に自ら宣言した通り、絡まり合った感情が幾分解れているのに気付く。そうだ。ヒトというのは対話によって答えを見つける生きものだ。決して一人で全てを解決出来るわけではない。
助かった、と礼を言おうとしていると背中の向こう——宿屋の方から二人分の足音が駆けてくるのが聞こえた。この駆け方はきっとウィリアム・ハーディとシキ・Nマクニールだろう。サイラスはスティーヴに目配せするとそっと笑んだ。
「食べ盛りの兄弟は昼食が待ちきれないらしい」
「ええ。そのようね。行っておいでなさいな」
「その前に——」
サイラスは左手で紙袋を支えるとすっと右手を持ち上げる。その指先をスティーヴへ向けると恭しく礼をした。
「手を貸せ。私の行く場所には必ずお前がいて見届けてほしいのだ」
「——ときどき、あなたの気障ったらしさは王子様を軽く超越していてよ」
困ったように照れたように微笑みながら、それでもスティーヴはサイラスの右手に彼女の左手をそっと重ねる。気障と揶揄しながら、彼女もまた満更でもない様子だった。
二人分の手袋を挟んだ内側にお互いの体温が触れ合う。
娘であり、母親であると同時に姉であり、妹であるテレジアに向けるものとはまるで違う感情が芽生え始めている自分にはもうしばらく気付かなかった振りをしようと決めた。そっと、そっと隠した気持ちに蓋をしてサイラスは足音の鳴る方へと歩き出す。
学術都市・ソラネンでは朴念仁の名をほしいがままにしたサイラスにでもこの気持ちが何の感情に分類されるのかは想像が付いた。文献の、戯曲の、文学の中に見たヒトの持つ最も美しくて最も醜い感情が自分の中にもあったことに驚くよりも安堵の気持ちが勝る。
魔力はヒトを美しく見せる。その美しさにも色々な特徴があり、ヒトを寄せ付けないものや、圧倒するものなど様々だ。
スティーヴの持つ美しさはいっとう気高く、シジェド王国における三大楽士として巷間に流布されている。サイラスは彼女のエレレンの音曲への興味からあの夜、酒場へと出向いた。リアムのように美女を一目見ようとする興味本位の輩も当然多かった。
それでも。
サイラスは繊細でいて柔らかで温かい、ヒトの感情の機微を表現した音色の方にこそ惹かれた。あまりにも美しすぎて、テレジアにこの感動を共有したいとすら願った。
そのスティーヴに触れられる僥倖もまたテレジアに一番に伝えたかったが、手を引いて歩き出すサイラスのことを冷やかすようなものはこの旅に同道していない。
「姐さん! 姐さんだけセイから昼飯受け取っててずるい!」
「女鹿殿。この馬鹿もののことは無視してくれ」
「坊ちゃん、今朝からずっとその調子でひどい!」
俺だってちゃんと仕事はしてるのに、とぼやきながらリアムがスティーヴとは反対側へとやってきて紙袋を受け取る。
「セイ、お疲れ。宿見た? すっげー美人がフィルといてさぁ、俺びっくりしたよ!」
「馬鹿もの。その美人からトライスターを迎えに行ってやれと言われたのももう忘れたのか」
「違うって! セイがあのヒトのこと美人だってちゃんと理解出来てるか確かめただけじゃないか」
「ものごとを万事美醜でしか判じられないのか、貴様の頭は」
「坊ちゃんだって善悪のものさししか持ってないくせによく言うよ」
そんなやり取りを目の前で繰り広げられて、気が付けばスティーヴがおかしそうに微笑んでいた。
「あなたたち、本当に仲がいいのね」
「仲なんて!」
「いいわけがないだろう」
示し合わせたのかのように調和した返答が来る。スティーヴはサイラスを見て、慈しみでもって彼らを一刀両断した。
「セイ。わたしもこの奇想天外な日常の一部かしら?」
「混ざりたいのなら止めん。好きにするといい」
「ならあなたも一緒でなくてはね。騎士殿。フィーナはまだご機嫌を保っていて?」
「問題ない。トライスターが何を買って帰ってくるのかと楽しみにしておられる」
そこまで聞いてサイラスはあることに気付いた。