僕らの泡沫 2nd.雨森哲の計画的犯行


「──難しいことを平然と言う。そうですね、俺の基本的人権と恋愛の自由についての権利を中心に戦います。勝つ自信はあるけど、ただ、俺の曲はもう二度と商品にはならないでしょうね」
 それが音楽家——イメージ商売の本質だ。
 より多くの人間の印象に残る必要があるが、好印象を育むのには膨大な年月を必要とする。一瞬で売れるやつもいるし、俺は限りなくそちらに近いが、この売れ方は「爆発力」というスタートダッシュからの熱量を伴う。つまり、大器晩成より更にイメージの持つ力が大きい。
 スキャンダルによる名声の失墜は俺の作品を生理的嫌悪感にまで昇華するだろう。
 そうなったら、俺にはもう挽回の機会は二度とない。
 そうだ。裁判で勝つ為の論理を俺は知っているが、裁判に勝つ=世の中に肯定されるではない。
 人は一度極限まで嫌悪したものをそう簡単には受け入れない。
 試合に勝って勝負に負けるとはまさにこの状態だ。
 顔色を曇らせながら、答弁すると二条社長は「では幸篤の権利については?」と追い打ちをかける。
「答えわかって聞いてますよね? そうですよ、俺とあんたがそういう契約関係にあったと書類が流出したら俺とあんたどころかあいつの人生までめちゃめちゃだ」
 父親と作曲家が人身売買同然の契約をしていた、とか。
 俺の弱みを握って二条芸能プロダクションが不正な利益を貪っていた、とか。
 もう兎に角誰も救われない負のイメージの洪水になるだろう。
「君はそれで本意なのか?」
「俺の本意? 無ですよ。小数点以下何桁探っても一立たないぐらい無に決まってるでしょ」
「ならもう一度聞くが、口頭指示で納得してくれるんだな?」
 二条社長はこういうときでも冷静で平坦な表情をしている。
 あと七年経てばきっと幸篤も似たようにクールな美青年に成長するだろう。
 その光景を妄想する瞬間、俺は最初から遠回りの近道の地図しか持っていなかったことを痛感した。
「訴訟しないで済むように生温かく見守ってください。絶対に、アツには気付かれないようにやります」
「二十二までに幸篤が気付いたら、君を週刊誌に売っていいな?」
「わーお、それ、脅迫ですよ? 音声あったら一発アウトですって」
「ないのだから問題ない」
「はいはい。じゃあ口約束でいいですよ。絶対、俺は有言実行の男なんで」
 雨森哲の名前は今はまだ小さなクレジットでしか掲載されない。
 それでも。きっと、近い将来、俺の名前を見てテレビの向こうが、劇場の観客席が手応えと歓喜を感じてもらえる音楽家になってみせる。
 だから。
 決意を込めて真っ直ぐに二条社長を見据えた。
 想い人に似た造形美がふと口元と眼差しを緩めて言うのを聞き届けた瞬間、俺は今まで味わったことのない充足を得るのを感じた。
「知っている。君の四年間の戦いは実に──美しかった。ご苦労様、と言って差し支えない」
「──っ! そういうのは、俺がアツを無事落としたときに聞きたかったんですけど」
「おや? 不思議なことを言う。君は何があっても幸篤を幸せにしてくれると私は見込んだのだが?」
「当然のことを言わないでくれ。俺は何があっても、あいつが犯罪者になっても、あいつが別の誰かと結婚しても絶対にあいつの味方をすると決めている」
 自分でも重たいやつだと自覚している。それでも。どうしても。二条幸篤の人生の一隅に雨森哲の場所があってほしかった。俺の曲を好きだと言ってくれた幸篤の世界にいたい。わかっている。ただのエゴだ。幸篤に俺の承認欲求を丸投げしている。だから何だというのだ。幸篤がそれを不幸だと思わないように振舞えばいい。共依存? 上等だ。俺自身だけなら誰に何と言われてもいい。幸篤がそれに応じたいというのなら地獄の果てまで共にいる。どんな苦痛も、どんな苦境も、どんな重圧も。俺が幸篤の近くにいたいという欲求に劣る。望みなんてそれだけだ。
 俺は二条幸篤の世界にいたい。
 だから。
 二条社長に何度品定めをされても、二十二年程度しかない人生の経験の浅さから計画を見透かされているとしても。
 俺はこの道を決して譲らない。
「いい面構えだ。本当にうちの事務所に来ないか?」
「何百回言われてもノーだ」
「まぁ、今はそれで呑もう」
 気が変わったらすぐに教えてくれ。二条芸能プロダクションはいつでも君を歓迎する。
 それが解放の合図だった。
 俺は長いながい尋問を終えて二条芸能プロの事務所を出た。
 片想いの相手の父親——あるいは母親にも、か——恋情を見透かされながら、ときに同じ場所で仕事をする、というのが実は難儀だということはそのあとすぐに実感した。いや、想定はしていたが、想定の百倍ぐらいつらい、が正しい表現だろう。
 それでも俺は何でもない顔をして二条芸のプロの事務所へ何度となく赴いた。赴いてその度に幸篤に「仕事の出来る」「格好いい男」の印象を与える為にありとあらゆる先達やメディア作品を研究し続けた。視線の持って行き方。微笑みの角度。身の丈に合っているが決してダサくないファッション。喋り方や指先の仕草まで一つも妥協せずに楽曲を作るのと同じぐらい研鑽を積むと俺のことを格好のいい業界人だと認識したのはどうやら幸篤一人ではなかったらしい。
 二十五の歳ぐらいから音楽番組のゲストで出演する気はないか、という連絡が来るようになった。
「ハルさん。これどうすればいいんすかねぇ」
「気が乗らないなら断っちゃえばいいんじゃない?」
 養父となった信治は今もジャズ喫茶を営み続けている。俺はときどきその手伝いをしたりしながら親子間のホウレンソウを行っていた。黙って見守る親子関係もあるだろうが、ホウレンソウをかなぐり捨てて失敗した生みの親子関係を思うと同じ轍は踏みたくなかった。人はときに言葉を必要とする。自分の中で凝り固まって澱となってから相談をするのは一番ハードルが高い。それに、信治はいい意味で言葉が多い父だった。心配をしている、とちょうどいい距離から言葉をかけてくれる。だから俺もまた不安がある、ということを信治に打ち明けても大丈夫だと信じられた。
 まぁ、そんな頻繁に相談をしなければならないほど迷いが多かったわけではないが。

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