夢を見ていた。
山林の中、開かれた場所に植えられた一面に木の芽が息吹く。視線を上げ、周囲を見渡すと山の峰々にはまだ薄っすらと白化粧が残っているのを見るに、春先なのだろう。見慣れない衣服の人々が下草を刈ったり、適当に木の葉を間引いたりしているのが早回しの映像のように過ぎ去っていった。少しずつ輝度を増す日差しを浴びて樹木は天を目指してぐんぐん伸びる。枝が人々の背をも追い越した頃には夕暮れが早まり、見慣れない道具を手にした人々が樹木の収穫にやってきた。
そうして全ての樹木が伐採された後には信淵の視界が暗転したかと思うと別の場所が見える。室内なのだろうか、樹木の皮を剝いでいる人々がいた。
何本、何十本という枝から樹皮が剥かれるのを見ながら、信淵はこの光景が夢ではないことに何となく気付きつつあった。かつて実際にあった景色。恐らくは宗主の異能が紡ぐ「素材」の記憶なのだろう。ただ見えているだけで、音も匂いも温度もない。触れることも当然出来ないし、信淵にとって夢と大差なかったから、この光景がいつ終わるのかをただ待った。
樹皮が処理され、「素材」として加工されていく。何行程もの作業の後に、漉きあがったとき、ああ、これは和紙を作っていたのだな、と知る。これが宗主の探していた「素材」なのだろうか。だとしたら、今、この場所で「素材」を回収するのは事実上不可能じゃないのか。映像では季節が一巡していた。そして、今はちょうど映像の始まりと同じ、春先だ。この後、樹木が成長するのには数か月の時間を要する。それとも、宗主には季節や時間の経過をも超越する異能があるのだろうか。異能というのを昨日初めて知ったばかりの信淵には推して図れないような何かがあるのだろうが、それならばなぜ「探索」が必要なのか。
疑問が疑問を生み、いつしか光り輝く映像が消え、遠くから信淵を呼ぶ声がした。
「志筑! 志筑!」
だから言っているだろう、人の言うことを一々真に受けて地雷原に踏み込むのはよせ、と。
その声が相馬のものだと気付いたときには信淵の意識は覚醒し、見慣れない神社の社務所の天井が見えた。
「相馬さん?」
焦燥感すら滲ませた相馬と対面して、信淵は何度か瞬きをする。ぼんやりとした景色から相馬へと焦点が移り変わって、どうしてそんなに悲壮感をまとっているのだ、と尋ねようとした頃合いに隣の襖が勢いよく開かれる音がした。帆足によって上体を起こされているとはいえ、信淵はまだ布団の中だ。困惑する信淵の視界に隣の部屋から三人の女性がそれぞれの態度で登場する。
「信淵クン! すまない! キミが異能の初心者だってことをすっかり失念していたよ」
「信じらんない。いくら『適応者』だからって自分の抵抗力まで下げちゃうなんて」
「生駒はん、そない言わんと。ええやおへんか。そのぐらい、とびきりの異能をお持ちなんや。ウチは歓迎しますえ」
じゃあ、至時がフォローしてあげたら? あたしはそのお荷物の教育なんて面倒なこと絶対お断りだから。と不機嫌さを顕わにした生駒にすら微笑んで京極がこちら側の部屋に入ってくる。
「志筑はん。えらいすんまへんなぁ。志筑のもんやとは聞いとりましたけど、こない強烈な方やと思いもよらんかって、ウチらもついつい気ぃ抜いてましたわぁ」
堪忍なぁ。言いながら一杯の水が差し出される。
「えっと、京極さん? これは?」
「中和剤ですえ。あんたはんに自分の異能が作用せえへんようになる薬やさかい、安心して飲んでおくれやす」
信淵の目にはただの水にしか見えない中和剤の入ったコップを受け取って、この水を飲んでいいのか、飲んだら何が起こるのか。躊躇しているのを見透かして京極はふわりと微笑んだ。
「京極さんが作ってくれたんですか?」
「作らはったんはそこの先生ですわぁ。何も怪しいもんやあらしまへん」
「信淵クン、ボクは『補助者』だからね。異能の作用を調節するのがボクの役割さ。本当は昨日の夜にこれを渡さなきゃならなかったんだけど、忘れていたんだ」
その点については本当に申し訳なく思っている、と一ノ谷が言うが、信淵は九条八家というのは誰も彼も謝るポイントがずれているな、などという感想を抱いてしまう。ただ、全く悪意がないどころか気まずげにこちらを見ている一ノ谷の挙動にどうやらこの倦怠感に近い感覚は中和剤を飲むことで打ち消されるのだ、ということを察する。受け取った中和剤は本当に無味無臭で水よりもよほど読みやすいぐらいだった。食道を降下していく液体がじわじわと信淵の身体を温めて、そうして飽和していた世界が収束する。異能の作用で敏感になりすぎていた信淵の感覚器がじわじわと元に戻っていくのを遠く感じた。
日常を取り戻しつつある非日常の中で信淵は九条八家の異能者たちに問う。自分が見ていたのものは一体何だったのだ、と。
その問いに対して答えを返してくれたのは以外中の以外にも「観測者」本人だった。