おたかん! 01:波乱の幕開け

 「五摂家」は観測者だという。九条八家はそれを支えるための異能者集団だという。
 信淵にはその成り立ちがそもそも理解出来ていないし、肯定のしようもないのに、信淵の異能は信淵の知らないところで人の感情を波立たせている。自分一人で抱えきれないのなら手放せばいい、だとか、関わらなければいい、だとか言いそうになって信淵は慌てて口を噤んだ。知っている。人は自分の信念を否定されることが一番の屈辱だ。盲信するだけの何か、が他人にどれだけ無価値に映っても当の本人にとってかけがえのないものだと言うのなら、それはきっと何らかの意味があるのだろう。狭い世界の中だけでも意味があるのなら、信淵が賢しら顔で否定することにどれだけの合理性があるだろう。
 まだ何も知らないのだ。
 宗主のことも八家のこともはっきりと理解したわけではない。
 そんな信淵が口にする否定の言葉など薄っぺらくて何の価値もない。
「一ノ谷さん。それ、俺にも効きますか?」
「残念だけど、『受動』系の能力には何の効力もないね」
「結局、俺はお荷物なんですね」
 いるだけでいい、と言われたところで自分が何をしているのかも知らずに安穏といられる筈がない。
 ならばせめて関わり合いになりたい、という思いを言葉の端に載せると一ノ谷は意外そうな顔をした。
「何かと思えば、キミはそんなことを気にしているのかい?」
「そんなことっていうか……わざわざ奈良までヘリで来て留守番だけって虚しくないですか?」
「信淵クン。相馬クンにも言われたろ。興味本位なら——」
「それでも。明確な目的があるなら協力し合って早く解決したいって思うのはギリギリ俺の自由だと思います」
 そこまでを言い切ると一ノ谷は慈しみを湛えた微笑みを向けてくれる。
 人のその善なるを信じる。その善が善である為に助力をするのが法律家であり、信淵はそういう存在になりたくて大学進学を希望した。
 万有の正しさなんてない。
 全世界共通の正解なんていうものもない。
 それでも。
 目の前で困難に立ち向かうものがいるのに安全地帯から見て見ない振りをするのだけはどうしても信淵には容れられそうになかった。馬鹿だと思う。自分でも救いようのない馬鹿だと知っている。
 それでも。自分自身さえ偽って、そうして成せる善に信淵は興味がなかった。
「信淵クン。積極的にキミを巻き込もうとしているボクが言うのもなんだけど、劇場型詐欺には十分注意してくれたまえよ」
「一ノ谷さん。俺、思うんです」
 一ノ谷たちは多分嘘を吐いていないし、もしもその必要があるのならきっと優しさから生まれる嘘だろう。
 人に騙されることに怯えて、人に利用されることを忌避して、そうして誰のことも容れないで生きる一生には興味がない。そんなつまらない人生など信淵は最初から求めていなかった。
 誰かの力になれる存在になりたい。それが信淵の望む人生の姿で宗主や八家のものは今まさに信淵の異能を必要としている。ならば、信淵が描いた道とは違っていても、その思いに寄り添うことはきっと荒唐無稽なことではないだろう。
「東京に戻ってから、でもいいです。聞きたいことしかないんで、ちゃんと話してください」
「キミは——強いね」
 異能者らしい強靭な精神力だ、と改めて一ノ谷から宣告されてそんな紋切型の文句で形容しないでほしいと思った。信淵は信淵の人生を生きている。一ノ谷の言ったように両親からは見捨てられた存在かもしれない。異能を発現して数日で全てを理解することなど不可能だと言われればそれについては信淵も同意を返したい。
 それでも。
「俺の家に来たのが一ノ谷さんじゃなかったら、きっと、もっと違った運命だったんじゃないか、って」
「おや? それはボクを口説いているのかい? よせやい。ボクは教え子とそういう関係になる趣味はないんだ」
「ちっ! 違いますよ! 人として尊敬しているだけです!」
「ならそういうことにしてあげよう」
 それで? 効くかもわからない強化剤を飲んでみたいのなら、今ここにキミの分も出来上がったよ。
 言いながら一ノ谷はオブラートに包まれた粉末を一包、信淵の手のひらに載せた。
「効かないんじゃなかったんですか?」
「おや? 何ごとも経験が大事だってキミが言ったんじゃないのかい?」
 試してみようじゃないか。キミはそういう体験を求めているんだろう?
 不敵に微笑むアンダルシアの薔薇は美しく、そしていつの間にか憂いとは別離していた。
 最初から用意してあった人数分のミネラルウォーターのペットボトルを受け取り、強化剤を流し込む。オブラートのおかげで苦味も辛味もなく薬剤は食道を通って落ちる。
「信淵クン。せっかくそこにいるんだ。食堂に運ぶのを手伝ってくれたまえ」
「一ノ谷さんって結構食えない大人ですね」
「そうかい? 八家は皆こんなものだから今のうちに覚悟しておくのだね」
 言いながら二人で縁側を歩いて食堂へと向かう。
 山中の神社にもゆっくりと陽が登ろうとしていた。

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