それからだ。
信淵たちを載せたヘリコプターは無事奈良県某所にて着陸し、信淵は揺れない大地の有難みを嫌というほど味わう。
山中と思しき場所なのにコンクリートが綺麗に張られたヘリポートには二台のワンボックスカーが停まっていた。どこに舗装された道があるのだ、だとか、この場所は何の為に整地されているのだ、とか色々聞きたいことがあったが結局は明確な回答の一つも得られずに、今度は車での移動だと告げられる。
「一ノ谷さん、これ、本当に危ないことじゃないんですよね?」
ワンボックスカーの中には一ノ谷がヘリコプターの中で語った通り、信淵の為に用意された作業着が積んであった。後部座席の更に後部に間仕切りのカーテンがあり、着替えるように指示される。その間にもワンボックスは山中には不釣り合いな舗装された道を走り始めた。後部座席から他人ごとのように明るい声が返ってくる。
「うーん、キミ次第じゃないかなぁ? 運が良ければ三日ぐらいで帰れるさ」
「ちょっと待ってくださいよ! 俺は、明日、新入生ガイダンスがあるんですけど?」
「うーん、じゃあ、無事東京に戻ったらボクが適当に説明してあげるから、諦めるんだね、青少年」
「いや、一ノ谷さん、説明苦手って言ってたじゃないですか!」
「流石に大学のシステムについてぐらいなら知っているよ。大丈夫、ダイジョーブ。何なら『五摂家』の権力で無理やり受講登録してあげるよ」
どんな学問をどんな教授が何の名目で開講しているか、を書かれたシラバスという冊子の解説も望むのなら一ノ谷が代替を確約するとまで言われるとそれ以上、否定し続けることも出来ない。お人好しな自身の性格を呪いながら、信淵は作業着に着替える。まるで信淵の為だけに作られたかのように作業着のサイズはぴったりだった。
「志筑。言っておくがその作業着は正真正銘のオーダーメイドだ。どこに縫製しているかは敢えて言わないが、GPSチップ付きだから転売など考えるなよ」
「しっ! しませんよ! 転売とか!」
こんな想定外の規模で財力と権力を見せつけられて、自分だけが上手く立ち回って利を得られると考えない程度には信淵にも分別というものがある。流れに抗うとしてもあまりにも急流すぎる。ある程度流されて全貌が見えてから逸れる方が幾分ましな選択に思えた。
「で、どこに向かってるんですか、この車」
「さぁ?」
「『さぁ?』?」
「ボクたちも知らないのさ。宗主がいる場所をGPSで追っているだけなんだ」
間仕切りのカーテンを開けると一ノ谷が運転席のダッシュボードを指さす。どこにでもあるようなカーナビのモニタ上で何かの指標が明滅していた。明滅する点はときどき動いているのか、近くなったり遠ざかったりしているが概ね距離は縮まっているように見える。
「あの、そもそもなんですけど、俺は一体何の為に連れてこられたんですか?」
「ああ、そういえばまだ言っていなかったっけ」
「異能者のタイプの話はしただろう? そのタイプにも種類があって『受動<パッシヴ>系』と『能動<アクティヴ>系』に分かれる。君は前者だ。いてくれるだけでいい」
「そうそう。異能に通じたばかりのキミに何かを期待しているわけじゃないのさ。キミはデバッファーなんだ。いるだけでボクらの能力を底上げしてくれるとーってもありがたい存在だよ」
まるで何か冒険物語のゲームの中に入ってしまったような不思議な感覚だ。次から次へと飛び出す聞き慣れたのに違う意味を持っている言葉を受けていると自分が何ものなのか、今の今まで信じていたものが曖昧になっていくのを感じる。戸惑いを隠せず、困惑を示すと「すぐに慣れる」と相馬が曖昧に笑った。
「言ってる意味がよくわからないんですけど……」
「昨日も少し話しただろ? 適応者は異能を受ける側の抵抗を下げる。勿論、修練を積めばもっと効力は高まるさ。それでも、キミがいるだけでボクらの能力は効果が高まる。単体補助しか出来ないボクからすればキミのように環境そのものに作用する存在は必須、に近いね」
何なのだろう。この現代日本としか思えない環境でゲームの中でしか使わなかったような単語が飛び交っている現状をどう飲み下せばいいのか信淵は答えを出しあぐねている。取り敢えず、何か面倒なことを強いられるのでも、特殊な行動をする必要もない、というのだけがわかったのが唯一の救いだ。
「でもそれって、結局何をするんですか?」
何をする為にヘリコプターまで使って奈良県の山中でフィールドワークをすることになるのか。その答えが今までの説明と結びつかない。率直に問うと一ノ谷は自慢げに微笑んだ。
「キミも知ってるだろ? タカノリ・クジョウっていう今世紀最高の古物修復者のことぐらい」
「知ってますよ。先月まで大英博物館で浮世絵の修復や版木の修復をしてた偉い人でしょ」
「それがボクらの宗主さ。今回はとある国立博物館からの依頼でね。文化財を修復しているんだ」
「それが、一体、どうつながったらこんな山奥になるんですか」
その台詞を発してから、信淵はタカノリ・クジョウの漢字での字面を思い出した。九条孝徳。そういう名前だ。そして、それは昨日聞いたばかりの「五摂家」の一つ——九条と符合してはいないか。「五摂家」を補助するのが九条八家だと一ノ谷と相馬は言わなかったか。乱雑に示されていた点同士が少しずつ結びつき、平面を描き始める。
「宗主は古物に宿る記憶を呼び出せる『交渉人<ネゴシエイター>』だ。その異能を駆使して今に至るまで無数の古物の修復を行ってこられた」
「制作時の環境や原材料を直に見るんだ。当然、修復の品質は上がる。ただ、交渉は宗主単独じゃ難しくてね。それを補佐するのがボクたち九条八家ってワケさ」
宗主は当代きっての有力者でね。八家の支援があれば古物の辿ってきた記憶の殆ど全部を紐解ける。そんな説明を聞きながら、信淵は確かに別段危険な行為に巻き込まれたのではなかったということを理解し始める。