おたかん! 01:波乱の幕開け

 帆足は信淵の困惑をどう捉えたのかよくわからなかったが、相変わらずゆるふわの笑みのまま言う。
「まぁ、『固定者<フィッター>』の仕事が終われば今日は泊まりになるでしょうし、君も嫌でも現実と向き合うことになりますよ」
「……そこはやっぱり確定なんですね」
 このまま上手くいけば今日中に解放されるのじゃないか、だなんてちょっとだけ夢を見ていた信淵にとってはその既定路線が更に頭痛の種だ。幾ら一ノ谷がガイダンスの代替を行ってくれると言っても、ガイダンスに出ない、シラバスから講義は選び放題。そんな状態で学友が作れると楽観視しないぐらいには信淵にも一般常識が備わっている。まぁ、遊びたくて大学受験をしたわけではなかったから、学友の有無など些事だろうと言われてしまうと少し苦しい部分があるのも事実だ。
「宗主が当地での用件が済んだ、と思うまで私たちに自由はないのです」
「その、ここでの用件って何なんですか?」
「今回に限って言えば、ですが」
 宗主が古物を保管している博物館で「交渉」を行った結果、古物は近畿地方で作られたということが判明した。当時の技術、当時の素材での「復元」を掲げている宗主としては再現性を優先して当地に来たという。そして、今、帆足が定義した環境下で「固定者」が素材の情報をデジタル技術に置き換えている、というのが現在発生している事象の全てだ。宗主の納得する素材が採集出来ればその時点で解放されるが、九条の家流ではその間のコストがどれだけ膨大になろうとも関知しない、という巨大な爆弾が投下されて信淵は一ノ谷の言った「運が良ければ三日」の正体を知る。
「ちなみに、その、『固定者』が素材の固定が出来なかったらどうなるんですか?」
「流石に私たちでも夜を徹して、ということはありませんから明日に持ち越しですね」
「その場合、スケジュールは後ろ倒しってことですよね?」
「当然そうなります」
 あまりにも平然と帆足が言うものだから、普通のことのように理解しそうになるが、彼が言っているのは「期限のない挑戦」の宣言に他ならない。受験勉強だって司法試験だって期限があるから労力を配分し、精神力を保つことが出来る。その、人間の社会にある最低限の前提が保証されないということは、信淵にとっては時間的損失が無限に続く、ということだ。理解した瞬間、パニックしていた頭が更にパニックを起こす。
「——! 俺に何か手伝えることってないんですか!」
「君は今、最善を尽くしていますから特段に、と言うのでしたら『何も』とお答えするしか」
「帆足さん!」
「残念です。君はもう『選ばれて』しまったのですから」
 帆足は何も思わないのだろうか。宗主の為だけに自らをなげうって得られる見返りとは何だ。選ばれる、というのは何だ。どうして信淵の人生はそのレールの上に載せられたのだ。問いたいことが山積していて、混乱が更なる混乱を生む。
 ただ、どう足掻いても今更東京に戻れるわけがないことは流石に理解出来た。今後、宗主の為に尽力するかは別問題だとしても、目の前の事案は「固定者」の采配にかかっているのは自明だ。受動系の異能の持ち主である信淵に出来ることはない。何せ受動的に異能を発露していて、それに周囲が影響されるだけなのだ。コントロールも何もあったものではない。
 見ていることしか出来ない。
 そのあまりの無力感に打ちひしがれながら帆足と向き合っていると彼は先ほどから変わらないゆるふわの笑顔で言う。
「大丈夫ですよ、志筑君。生駒君が仕事を終えたら、探索ですから君も事態の進展に貢献出来ます」
「探索? って何ですか?」
「聞いての通り、素材の探索ですよ」
 この広いひろい奈良の山中で目的の素材を探すという大事な任務がまだ待っている、と帆足は何でもないことのように言った。
「あの、その、探索って二日ぐらいかかるんでしょうか」
「ご明察の通りですね」
「それって異能者しか探せないんですか?」
「『素材』のサンプルを目視出来るのが異能者だけですからそうなりますね」
「この! 無駄に広い! 山の中を! 六人だけで探すんですか?」
「はい」
 嘘だ。これは何かのドッキリか何かだと言ってほしい。その次元で絶望しながら信淵ががっくりと肩を落とすと帆足がようやく信淵の憔悴に気付いたような顔をしてフォローを挟んでくる。
「大丈夫ですよ、志筑君。もう一人『分析者<アナリスト>』がいて、彼女が環境分析を補助してくれますから、先生のおっしゃったように運が良ければ三日程度で帰京出来る見込みです」
 第七の異能の種別が聞こえて、信淵はぼんやりとそう言えば九条「八」家と彼らは名乗ったな、と思い出す。「五摂家」を含まないのであればその「分析者」の他にも二人、更に異能者が存在するのだろうが、その仔細を聞く気にはどうしてもなれなかった。
 無理難題に近い任務を与えられて、何がどうなったらこの状況なのだ、と呪いながら信淵の腕に巻かれた時計が午後四時を告げた頃、一ノ谷たちが戻ってくる。まだまだ問題のとっかかりに触れただけなのに、信淵はもう既に疲労しきっていた。

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