おたかん! 01:波乱の幕開け

 環境の定義と素材の抽出は終わった、と一ノ谷が言うのを聞きながら「表現者」である相馬が作り出したワンボックスカーで、「臨場師」である帆足が作った道の上を山の麓にある小さな神社に向けて一同は移動する。そのあまりの安定感にここは本当は東名高速道路の上なのじゃないかと思ったが、車窓から車の後方を振り返るとやはり燐光が見える。走り終わった部分から順に光の粒となり消える。何度見ても意味が分からない。ただ、その光景を見ている自分、というのに少しずつ慣れつつある自分に笑ってしまいそうになった。「適応者」というのは自身の適応力も高めるのだろうか。そんな馬鹿なことを真剣に考えてしまうぐらい、信淵は疲労している。
 神社の社務所の離れを好きに使っていい、と宗主に言われ、男女別に部屋を割った結果、信淵は相馬と帆足と一緒になる。一ノ谷と「固定者」——生駒、それから「分析者」——京極至時と男の名を名乗ったがどう見ても深窓の令嬢にしか見えなかった——は女性同士、まとまって襖一枚隔てた向こうで盛り上がっている。宗主は神主と話があるとかで、離れではなく母屋に泊まるらしかった。
 良くも悪くも田舎らしい素朴な夕食を終えて、それぞれの部屋に分散して数分後、相馬が廊下を伝って戻ってくる。
「帆足。志筑。白川とジャンケンで負けたから俺たちの風呂は後になった」
 一時間後に声をかけてみることになったから、まぁゆっくりと休め、と相馬は言って押入れから布団を三組取り出した。その慣れた手つきに九条八家のフィールドワークというのは毎回こうなのか、と少し懐疑的になる。
 そんな信淵を置いて、帆足は流し場のあった方へ向かおうとしていた。
「いいのじゃないですか? 女性はゆっくりと湯に浸かりたい方も多いかと。私はその間にお茶でも用意していますよ」
「あっ、俺も手伝います」
「志筑君。頭パニックの学生さんの手を煩わせずとも大丈夫ですよ。私の本職をお忘れですか?」
 こう見えて、あのカフェは私が考案したドリンクばかりを提供しているんですよ。
 言われて「抹茶ラテもですか?」と間髪入れずに聞き返してしまって、相馬からは鋭い眼差しを浴びる。
「はい。そうですよ。抹茶ラテの抹茶をどこから仕入れるか、から私が決めています」
「お好きなんですか?」
 偏見かもしれないが、男性なのに抹茶ラテを注文する相馬も、その相馬が飲んでいるラテを茶から選んでいる帆足も似たような意味で変わっているな、と信淵は思った。
「それの生まれは茶道家の一族だ。物心付いた頃には一端の茶人だったそうだ」
「とんでもないです。私はただ、飲み物を供することで世の中を少しでも癒したいと思っているだけですよ」
 父や兄のように格式を継承することは不向きで、こうしてカフェの店長などを始めた一族からすれば恥さらしの爪弾きものです。言った帆足の表情はフラットで彼がどう思ってその言葉を紡いでいるのかが今一つ伝わってこないが、凡そ自己肯定の言葉の類でないことだけは確かだ。
「帆足さんのチャイ、俺は好きです」
「おや?」
「『五摂家』の身辺調査で俺がチャイを好きだってことがわかってたのかもですけど、昨日飲んだチャイは本当に俺の好きなチャイでした」
「おやおや? そんなに気に入っていただけたのなら今後も是非当店をご贔屓に、ですね」
「はい! だから、帆足さんは最高のバリスタです!」
 だから、帆足さんのお店にはまたお邪魔すると思います。言い切ると帆足がゆるふわの雰囲気を少しだけ崩して困ったように笑っていた。
「相馬さん。よくもまぁこんな風変りの『適応者』を見つけられましたね」
 そこだけは私も評価します。言って悪戯気に微笑む帆足もまた一筋縄では行かない大人の代表で、信淵は頼もしさよりも手強さを先に感じてしまった。そういえば相馬が「人の言うことを一々真に受けるな」と言ってはいなかっただろうか。どういうつもりで相馬が忠告したのか、彼自身以外にはわからないが、信淵は一つの道を知る。流されると決めたのなら、一々立ち止まっていても何にもならない。帆足が信淵の何をどういう意味で評価したのか、などという小難しいことを考えるのはやめだ。
「相馬さん……お茶が来たら……起こしてください」
 言いながらも信淵の意識は混濁していく。相馬が適当に置いた——ままでまだ敷かれたわけではない——布団の山に埋もれながら、突然の非日常で受容域を大幅に超過した信淵は睡魔の誘惑に美しいまでに敗北を喫した。

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