Fragment of a Star * 07:自由と平等

 だから、サイラスは弁論の切先を逸らさない。リアムは最後に理解を示すだろう。その瞬間まで、サイラスは長広舌を披露するのに何の支障もなかった。

「その責任の重みを感じているのは個人だ。決して、定量化は出来ない。そして、ヒトには生まれながらの性格と才能の違いが純然と存在する。数値上だけを平等化して自己満足に浸っていたいのなら、マクニールの言う通りこの旅は無益だ。今すぐ私もソラネンへと帰還したい」
「なんで、そうなるんだよ!」
「リアム。ヒトは決して平等には生まれない。もし、万有の平等があるのなら、それは生まれたものがいつか死ぬ、ということだけだ」

 そしてその平等すら人知を越えた天乙女の実在が否定する。
 それでもヒトは生まれ、育ち、そしていつしか老いさらばえて死ぬ。
 幼児ですら知っている常識だった。それでも敢えてサイラスは説く。自らの不完全さを不器用に自虐しているリアムの背中を押す必要があるのなら、それは今だとすら感じていた。
 いいか、リアム。まだその文句を続けると空色はくすんだまま、ぼう、とサイラスの姿を映していた。

「ヒトには個性があり、それを尊重するというのなら、定量化した業務量を均すなどという幻想を棄てろ。ヒトには得手と不得手がある。同じ業務でもその処理にかかる時間は決して一様ではない。そのそれぞれをありのままに評価することが自由であり、平等だと私は考える」

 同一の労働を同一のコストと時間で行えというのなら、それはもうヒトではなく、ノルジが目指した産業機械なるものに置き換わる他ない。ヒトは不変の存在ではないのだから。疲れる。倦む。習熟もするが、同時に手の抜き方も考える。そのそれぞれを否定したいというのならサイラスとリアムはもはや同じ道を歩いていない。だから、これ以上共に旅など出来ない。
 
「絶対的評価、という視点こそ、自由主義の最大の美点だ。相対的評価はヒトに序列をつけ、最終的には格差を生む道具となるだろう」

 じゃあどうしろって言うんだよ。反駁の出来ない、それでも答えを探しあぐねている空色が苦しげに伏せられる。
 どうしろというのだろう。その答えはサイラスもまた知らない。一長一短、という言葉があるように、ものごとに万有の尺度はない。ある点では秀いで、ある点ではそれが劣る。そういう多面性を持つのがヒトの社会だ。何の落ち度もない存在を探すのなら、今度はノルジではまた足りない。フォノボルンですら持たない不変の世界の頂を目指せば、きっと自らが潰えるのが一番早く答えを得られるだろう。死──或いはそれに類する終わりの先にあるのは無だ。ヒトの輪廻を否定してきたサイラスはそれを終着点としていたが、フォノボルンの言葉で揺らいでいる。それでも、巡り続けているという確たる証拠をまだ見ていない。見ていないから、サイラスはまだ持論を覆さない。
 そうすることで、どうにかリアムの自責を薄めてやれる。そのぐらいには自分にも価値があることをリアムが教えてくれた。
 
「どちらが悪い、というのを判じるのも相対的評価だ。私はそれを望まぬから、どちらも長所がある、と述べるに留めよう。ゆえに」
「ゆえに?」
「能あるものが苦役と感じない程度に周囲より多くの責任を負うのは合理的判断において有益だと私は考えている」

 苦役は駄目だ、とサイラスは判じられる。
 苦痛を伴い、精神を痛めつけ、ヒトがヒトに強要して搾取するのはサイラスの世界の中でも悪だと間違いなく言える。
 それでも。自らから少し背伸びをした地点を目指し続けることまでをサイラスは否定したいと思っていない。罪悪感は抱く必要がない。それでも、向上心を失ったものをヒトと呼びたくはないのがソラネンの学者たるサイラスの言い分だ。
 そして、その持論に基づいてサイラスは判じる。
 リアムの好奇心を満たして、サイラス自身が次の世界の扉を開くことに誰に、何の、瑕疵があるだろうか。
 ソラネンの雑務をそのままそっくり引き継いで旅をしていると黙っていたことについては素直に謝罪したい。旅というのをしてみて初めて実感したが、これは思った以上に一個団体の意思疎通が生命維持に重要になってくる。そこに別の雑役を兼務するのは決して安全とは言えなかった。だからこそ、引き継いだままの雑務があると言い出せなかった自らの逃避について、リアムが腹を立てているのならこれ以上弁解をするつもりもない。
 ただ。
 リアムが懸念しているのはそこではないのだろう。

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