おたかん! 01:波乱の幕開け

 約束通り、三人分のドリップコーヒーが湯気を立ててテーブルの上に並ぶ。
 まずは何から話そうか。言って相馬が胸の前で腕を組んだ。その眉間には深々と皺が刻まれていて、一ノ谷の紹介通り彼が生真面目無骨人間であることを物語っている。
「他家ではどうか俺も知らないんだが、九条において異能は異能者にしか通じないんだ」
「つまり、異能を見ている俺はその時点で異能者ってことですね」
「そうだ。こんなものを日常的に見ていると現実と幻覚の区別がつかなくて世の中はめちゃくちゃだ」
 そんなものを試しに、でも信淵に見せようとしたのか。と文句を言いそうになって渾身の力で信淵はそれを押し留める。こうして一々問題を精査していたのでは到底今日中にこの話題が終結することがないのを察したからだ。
「異能にはある程度種類がある」
「相馬クンのようにモノを具現化する『表現者<パフォーマー>』」
「そういうこいつは異能者の出力を底上げする『補助者<バッファー>』」
「そして私のように環境自体を定義する『臨場師<フィールダー>』と君のように異能の感知力を上げる──というよりは異能への抵抗を下げる『適応者<デバッファー>』と、この場にいるだけでも既に四種類の能力があるのですよ」
 いかにも自然そうな流れで第三の説明者が乱入してきて、信淵は彼に対してどちら様でしょうか、という眼差しを向ける他ない。
 相馬さん、ミルクと砂糖です。と言って三人目の異能者がテーブルの上に信淵の常識では考えられないような量のミルクポーションとスティックシュガーを置いたとき、別の意味で目を疑った。このレギュラーサイズのカップに入れるにしてはあまりにも多量すぎる。甘党にしても度が過ぎているのではないか。思いながらしげしげと砂糖と相馬の顔とを見比べていると「志筑。他人の好みに口を挟むな」と直接本人から苦情が届く。
「あの」
「初めまして、志筑君。私はこのカフェの店長をしている帆足万里(ほあし・ばんり)と言います」
 帆足、と名乗った青年はゆるふわな雰囲気で美青年とまではいかないがなかなかの癒し系の外見だった。カフェの制服らしい白のコックコートと長いエプロンがよく似合っている。黄色のバンダナで半分以上隠れているが、髪色はかなり脱色をしているのが窺えた。まぁ、目の前にいるダークレッドの長髪の女性──一ノ谷が学者で問題ないのなら九条八家というのは外見にはとてもゆるい集団なのだと理解するほかない。
 よろしくお願いします。と差し出された右手に自身の右手を重ねると意外にも帆足の手のひらは春の外気を思わせるような冷たさだった。
 厨房で洗いものでもしていたのだろうか。そんなことを思案しながら帆足の手を離すと彼は穏やかな雰囲気のまま、一ノ谷と相馬に対しての爆弾を投下する。
「ところで、先生と相馬さん。宗主から火急の用件で集まるように、とのメッセージが届いていましたよ」
「えっ?」
「うぇっ」
 宗主──というのは先程の短い説明の中に出てきていた「観測点」のことだろう。今までに聞いた情報から想像するに厳格な老人のような印象を受けたが、どんな人物なのかはまだわからない。ただ、一ノ谷と相馬の反応を見るに二人とも宗主のことを若干苦手視しているのが伝わってくる。特に、自由人のようにしか見えない一ノ谷ならまだしも、生真面目縦割り大好き社会人の見本のような相馬までもが絶句しているのが意外だった。
「ということなので、志筑君。問題は何も解決していませんが、今日はここでお開きにしてください。はい、これは次回サービス券です。どうぞ当店をご贔屓に。では行きますよ、お二方」
 柔和そうな印象しか与えない帆足は、それでも確実に二人の異能者を捕獲して宗主の元へと移動を開始した。残された信淵は自分も同行を求められなかったことに安堵すればいいのか、仲間に入れてもらえなかった疎外感との間に揺れて、結局は一ノ谷の奢ってくれたドリップコーヒーを飲み終えてから帰宅した。釈然としない気持ちを抱えながら、志筑は入学式のスーツを探し出す以外の部屋の片付けを放棄して青桐学院大学入学の手引きと表紙に書かれた分厚い冊子を捲る。どこにでもある普通の紙の冊子を開いた筈だったのに、小一時間前に体験したのと似たような燐光が満ちたかと思うと手のひらサイズのおそらくは相馬と思われるアバターが飛び出してきた。触ることはおろか、消す術もわからない。ただ、双方向通信ではなく、ただの記録再生だと分かったから、最後まで説明を聞けば消えてくれたらいいな、ぐらいの気持ちで小さい相馬の説明する内容を一方的に受信した。
 明日はどこに集合で、持参するのは何でなどと言ったことを小さい相馬が説明し始める。
 両親はどこまで知っているのだろう。小さい相馬は説明を終えると光が弾けて消えた。後には相馬の手によるのだろう綺麗に整ったメモ書きが残って、相馬が真実辣腕の社会人だということをこれでもかと印象付ける。その、メモを見ながら信淵はふと思った。一ノ谷は初対面の信淵に対して「両親に売られた」と言わなかっただろうか。知っていて、異能者などと関わり合いになるのが嫌で捨てられたのだろうか。スマートフォンは信淵の目の前にある。両親がどう思っているのか確かめたいのなら信淵は電話をすればいいのだとわかっていた。わかっていたのに何もしないのは答えを知るのが怖いからだ。何も知らなければ平穏に暮らせる。一ノ谷が言った台詞が胸の中でぐるぐる回っていた。そうだ。何も知らなければ、両親から決定的な別離の言葉を聞かなければ信淵は信淵のままいられる。わかっている。ただの自己保身だ。わかっている。それでも、今すぐ確かめるだけの強さなんて信淵の中にはなくて、その小さくて巨大な疑問をそっと心のどこかに追いやった。いつか。いつの日か、真実をもっと早く知ればよかったと後悔するのだとしても。未だ高校生の身分しか持たない信淵は今日の夕食を何にするか、だなんて日常的なことを考えて巡る問答を強制終了した。

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