僕らの泡沫 2nd.雨森哲の計画的犯行

 あなたは一目惚れ、という恋の始まりを許容出来るだろうか?
 残念なことにその是非を問うより先にその境遇に身を置いていた俺からすると、不誠実と詰られても人は見た目が十割と笑われても何の否定も出来ない。
 錯覚だ、忘れろ、冷静になれ。何とでも言うといい。俺はこの恋を叶えて愛にすると自分に誓った。
 その日から──あの日から、俺は二条幸篤の為だけに生きている。
 両親は昭和によく見たどこにでもいるような一方通行の夫婦だった。
 九時五時でカレンダー通りの固い仕事に就いている父は一家の長で、母親はいつも遠回しに父親のことを肯定する。
 酒の類を嗜まず、暴力を振るうわけでもない。ただ、現代の価値観で言うと明かなモラルハラスメントがあったし、何なら経済DVだってあった。女のくせに。俺ほど稼げるのか。黙って俺の言う通りにしろ。会社での鬱憤を晴らすかのように傍若無人に振る舞う父親のことを尊敬したことは一度もない。通知表を持って帰っても一度も自分で中を確かめたりもしないくせに、全てが最高評価ではないと母親づてに知ると叱責される。
 今なら、きっと、こう反論出来ただろう。あんたの息子だろ? そんな大した遺伝子持ってるつもりかよ、とか。
 賞賛は全て父親の功績。批難は全て俺と母親の不徳。
 そんな家庭で育って「真っ当な息子」が育つのがどれだけ無理のある願望なのか、彼はきっと一ミリすら考えたことがないのだろう。
 中学のときは学年首席。高校は地区一番の進学校。大学も──となった段階で俺はもう限界だった。
 大学なんて行ってどうなる。またぞろ体のいいマウントの材料になるだけで、俺には何の利もない。
 わかりきっていたから、センター試験──今では共通テスト、と言うのだろうか──の当日にばっくれた。
 ばっくれて、でも今まで優等生の人生を歩いてきたから適当な時間の潰し方もわからない俺は適当に昼の繁華街を歩いていた。
 そうしたら出会ったんだ。
 俺の「運命」ってやつに。
 古風な装飾の施された外観。窓ガラスは精緻な細工を施されて絶妙に室内を見通せない。客が出入りする度にからん、ころんと軽やかな音が響くその喫茶店の奥から聞こえてきたのは柔らかなサクソフォンの音色で、気が付いたら大した小遣いも持っていないくせにその店に飛び込んでいた。
 この店がジャズ喫茶だと言うことは後になってから知った。
 ただ、そのとき、店から溢れてやまない音楽とその情熱を浴びて俺は決めた。
 音楽と共に生きたい。
 楽器を演っていたわけではない。ただ、譜面は読めるしピアノを叩くことぐらいは出来る。音楽をたくさん聴いてきたのか、と言われると苦笑するしかない。いや、実は古今東西、どの音楽とも無縁に近い人生だったのに何が俺を駆り立てるのか。
 ウッドベースの柔らかで穏やかな音色。
 ドラムのしっとりとした安定感。
 ピアノの切なげな歌声をサクソフォンが一つに織り上げて楽曲を成す。
 入れ替わり立ち替わり演者が変わるのに俺は試験が終わる筈の時刻になってもまだ、この店を出ようとすら思わなかった。
 変な言い方になるが、新世界だったのだ。
 ジャズのことを何も知らない俺はアレンジのパートに特に魅入られた。
 誰も彼も自由を謳歌しているのに全員が互いを尊重している。
 この空間にずっといたい。もっと聴きたい。俺も──あんな風に生きてみたい。
 この後、帰宅しても碌でもない結果しか待っていないのはわかっていた。
 そのことも手伝って俺はマスターの好意で無限に注がれる──ということも気付いていなかったぐらい無知だった──お冷を何杯でもお代わりして、結局、最終電車で帰宅した。
 今でこそ成人年齢が十八歳だから、未成年ではない、などという詭弁もあるが当時の俺は未成年そのもので制服姿だ。当然、最寄駅の交番で補導され、母親だけが謝罪に駆けつけた。父親の姿はない。その瞬間に確信した。彼には「優等生の息子」というアクセサリーが必要だっただけで、「俺」のことには全く興味などないのだ、と。
 お母さんが一緒に謝ってあげるから、という母親の説得も実に妙だ。
 俺は何も悪いことはしていない。
 ただ、試験をサボって喫茶店で水を飲んでいただけだ。
 無銭飲食を働いたわけでも、人を傷つけたわけでもない。
 まぁ帰る時間が遅くなったことで心配をさせたかもしれないが、それならどうして迎えに来ない。
 俺はあんたのアクセサリーじゃないし、観賞用の芸術品でもない。
 謝らないし、大学にも行かないし、浪人もしない。
 お前の所為で恥をかいた、謝れ、だなんてどこの無法者の言い分だ。
 俺は現代の日本国の法律に従って生きている。
 誓って法に悖ることはしていない。
 だから、謝らない、と言うと母親に頬を打たれた。
「哲、意地を張るのはやめなさい。謝らないで、どうやってあなた生きていくの?」
 お金のことだってあるでしょう。
 守ってあげられるのはお母さんだけなんだから。
 その脅迫にも近い謝罪の強制にどれだけ俺が苦しんできたのかをこの人はわかっていない。
 ずっとそうだ。
 間違ったことをしなくても、父親の機嫌が悪ければひたすら謝って、俺を庇ったかのような偽善に酔いしれて「いい母親」を演じてきただけのあんたに何がわかるんだ。母親が一方的に不条理に晒されて生きているのを見て育った子供の心理状態について考えてくれたやつがいるのか。
 俺が、どれほど無力感と自己否定に苛まれてきたかを知っているだろうにまたそれを学習させようとする。
 ある意味においてこの二人は似た者夫婦でしかなかった。
 そのことを知って、俺がどれだけ虚無を抱いたか、おそらく両親はどちらも知ることがないだろう。
「いいよ、別に。俺が死んでも母さんの所為じゃないし、どうせあんたたちには最初から『息子』なんていなかっただろ」
 いたのは賞賛を受ける為の装飾品だけだ。
 だから。
「高三の一月にこんなこと言うのアレだけど、俺、高校も辞めていいし、大学には行かない」
「ちょっと謝るだけがそんなに嫌だって言うの? わがままもいい加減にしなさい」
「俺は──育てて『やった』なんて言われる為にずっと我慢してたんだけど、へぇ。わがままなんだ?」
「哲! いい加減に──」
「いいよ。別に。お互い理解し合えないし、お互い邪魔なんだし、俺、家に帰るのやめる」
 文系の俺には地学の嗜みが足りず、理屈はわからないが、どうしてだかセンター試験のある週末は寒波がやってくる傾向にある。
 このまま気温の下がる屋外にいれば凍えて死ぬのは明白だったが、足枷をされているのはこちらなのにこれ以上足枷そのもののような扱いを受けるのは不本意だった。
 分かり合えないこと自体には罪はないだろう。
 そういう相手もいる。
 それでも、一方的に理解を押し付け、理想を投影されるのは人としての権利を失していると俺は気付いてしまった。
「じゃあね、母さん」
 それだけを端的に言い残して、俺は暖房の効いた交番を出た。手荷物は最小限。参考書や問題集なんて後生大事に持ってたって何の役にも立たない。鞄の中で嵩張ってどうしようもないのに捨てようとしない時点で俺の誠実さを評価して欲しかったものだ。
 そんなことを今更考えながら夜の帳の中を歩いた。雪が降らなかったことだけは神様に感謝してもいい。
 財布の中にはまとまった金すら入っていなくて、タクシーを捕まえることはおろか電車に乗ることも出来ない。まぁ、終電で帰ってきたのにそれ以降の電車なんてあるわけもなかったが。

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