姐さん、そりゃひどい! リアムがそう嘆いているのを聞けばフォローが不要なのは自明だった。それでも、フォノボルンとリアムを二人きりで置いていくわけにもいかず、サイラスはスティーヴに留守居を依頼する。
「スティ。フラップの食べ方を天乙女に教えてやってくれ」
「この街を出る前に夏橘(かきつ)を買ってくれるのなら考えてもよくてよ」
「では交渉成立だ。後のことは任せる」
夏橘というのは果物の一種で、一般的に緑色の球状の果実を指す。水分が多く、さっぱりとした風味の中にじわりと滲む苦味があるのが特徴だ。季節と地形の違いからか、ソラネンでは見たこともなかった果物をこの馬車街ではよく見かける。女鹿の魔獣であるスティーヴは本質的に肉よりも草木や果実の類に興味を示すことが多かった。反対にフィリップは肉料理を好む。性というのがヒトだけの価値観ではないことを彼らが示している。
スティーヴは敢えて「買ってくれる」という表現を用いたが、彼女はサイラスの裁可など必要としないだけの私財を持ち合わせている。要するに、夏橘を買いにいく時間を担保してほしい、という意味合いなのだが魔獣とヒトとの間に対等の契約関係は成立しないと言い切った彼女らしい言い回しだった。
許可を必要とするのはスティーヴだけではなく、フィリップもだ。これがテレジアならきっと勝手に買い求め、挙句、サイラスに買ってやったのだから好き嫌いせずに食べろとまで言うだろう。
魔獣にも個性がある。
そのことを興味深く、再発見しながらサイラスは馬車街の北門へと辿り着いた。
ヒト通りは殆どない。北門の両側を挟むように広葉樹の森が続いている。門を出ずともわかる、その暗がりに向かってサイラスは声を発した。
約束の刻限まではまだ時間がある。いない、という可能性を考慮しなかったのか、と問われると考慮した結果、いると判じたと答える他ない。おそらく、二人は門を潜るタイミングを失っているだろう、と推測していた。
「フーシャ。ターシュ。いるのだろう?」
「──いちゃ悪ぃのかよ」
「お前は──きっと、来ると思っていた」
「何もかもお見通し、みてぇなツラしてんじゃねぇよ。テメェの思い通りってのが気に食わねぇが、ターシュに我慢させっぱなしってのもオヤジたちに申し訳が立たねぇだけだ」
憎まれ口を利きながら野盗の姉弟が姿を現した。お見通し、というわけではない。そうなったらいいな、という願望を抱きその実現の為に種を蒔いただけだ、と言ったところでフーシャは理解すら示さないだろう。昼どきの晴天の下、野盗をまじまじと見る経験など当然、初めてだ。それでも、場の雰囲気にそぐわない、とは感じなかった。
フーシャがサイラスを睨みつける視線は少し剣呑さを失っている。信頼、とまではいかないが少し話を聞いてもいい、ぐらいまでは進歩した証拠だった。
「フーシャ。ターシュ。待ちくたびれているものがいる。答えが決まったのなら、来るといい」
街の内側から手招いたサイラスに呼応して、姉弟は顔を見合わせて、待ちビトのことを思い、そして決意の一歩を踏み出す。そして。北門の内側に一歩、踏み込んだ。その刹那、響き渡った声がサイラスの仮定を肯定する。
「ルー様!」
フォノボルンが歓喜の一声と共に北門まで空間を繋ぎ、現れ、そしてスティーヴを抱きしめた強さよりもなお強く、そのものを抱擁した。
──フーシャ・タラッタラントそのヒトを。