Fragment of a Star * 07:自由と平等

 フィリップが含み笑いを堪えきれなくなった頃、フォノボルンはようやく百年分の歓喜を収束させた。にやにやと笑むフィリップに「ところで僕の昼食はどこだい?」と問われて紙袋の中だと答える。その紙袋がどこにあるのか、を思い出してサイラスはヒトである二人の知己のことをようやく思い出した。
 リアムの姿を探せば宿の前の長椅子に腰掛けているのが視界に映る。サイラスが調達してきた大きな紙袋を挟んでその隣にはシキがいた。ここまでの道程で何度も見た展開にサイラスはまたも自身が言葉遊びに熱中していたことを悟る。二人には何か埋め合わせをしなければならないだろう。そこまではいつも通りだ。
 ただ。

「リアム、どうかしたのか」

 その呼びかけにすらびくりと肩を震わせ、視線すら合わせないでリアムは「別に」と返す。
 どこからどう見ても別に何でもない状態ではない。よく見ると顔色も優れない。何かがあったのだ、とサイラスは気付く。
 その反面、リアムの隣にいるシキはいつも通りだ。彼に事情を説明してもらうのが一番手っ取り早いのだろうが、サイラスの第六感がそれでは遅いと告げた。

「リアム。何があった」

 無視を許さない強さでもう一度問う。リアムの空色がちら、とこちらを向いたがまたすぐに虚空を見つめる。その姿にサイラスは心底苛立ちを覚えた。目の前に自分がいるのに、言葉を交わそうとしているのに不誠実な態度で視認すら拒まれる痛みをリアムから与えられるのがどうしても許せなかった。
 そういう、弱さや脆さを共有してお互いを補い合える友人だと思っていた。それがサイラスの一方的な願望だったと今更告げられて、怒らない程にはサイラスも聖人君子ではない。
 怒気を孕んだ問いかけに、やけくそのように怒気を孕んだ返答が来る。
 この会話の加担者がサイラスとリアムの両名でなければ、今頃はどちらかが暴力を行使していてもおかしくないぐらい、どちらも感情が暴走し始めていた。

「何もないって言ってるだろ」
「何もない顔をしていないが?」

 何もない。何もないんだとリアムは重ねてサイラスの問いを否定する。
 リアムの双眸が泣きそうに歪んで、失望の色すら灯してサイラスを射るのに、その変容に追いつけないサイラス自身が歯痒くてどうしようもなかった。サイラスがヒトの理の外にあるものと交流している間に、リアムとシキは何の会話をしていたのか。マクニール、と声をかける寸前になって、リアムは突き放したようにサイラスを拒絶する。

「お前には、わかんないよ」
「──お前が、その言葉を口にするのか」

 王都・ジギズムントで彼が何百、何千と聞いてきたその言葉を、彼自身を酷く傷付けた言葉を、忌み嫌った拒絶をサイラスに投げるのか。
 相手の存在の根源を排斥して、理解を拒み、共感を否定する。その、ヒトの交流の原初を断ち切る言葉をサイラスに投げるのか、と問うとリアムはようやく彼の失言に気が付いたようだった。彼の反応がその事実を暗に伝え、サイラスの胸の内側を手酷く抉っていくのを感じる。

「えっ、あっ、いや、そういう意味じゃない」
「敬遠と排斥と疎外に苦しんできた、お前がその言葉を私に投げるのか、と問うているのだが?」

 怒気を通り越して呆れに近い凪いだ感情に変遷していく心の中を遠くから見つめながら、サイラスは己が武器である言論を用い、リアムの非を詰る。それすらも信頼を欠いた行為だと自認出来ないぐらいにはサイラスも動揺していた。
 そんな寛容と冷静からかけ離れた優しさのない声を初めて投げられたリアムの空色が更に曇るのさえ、サイラスは気付かない。
 弁解の言葉が紡がれようとして、なお、サイラスは追撃の手を緩めることをしなかった。

「──だって」
「『だって』?」
「お前には、わかんないよ」

 ヒトの心配ごとを抱え込んで、一緒に背負い込んで平然と耐えられるやつには俺の悩みなんてわかんないよ。
 その言葉を聞いたサイラスが拳を握りしめるより早くに、鈍い音が宿屋の前で発生する。
 気が付いたときにはリアムが長椅子から転げ落ちて、呆然とした顔でシキを睨んでいた。

「何すんだよ、坊ちゃん!」
「言わなかったか、傭兵。トライスターは我らソラネンの誇る英傑だ。その、我らの誇りを汚すのであれば俺は相手が誰であろうと許さん」

 それが、シキの騎士道だ。王子でも、国王でも遵法の意識も関係がない。
 ただ、ソラネンの誇りの為だけにシキは力を行使する。

「馬鹿じゃないのか? 誇りで国を守れるのかよ」
「ならば問うが、誇りのない国に存在する価値はあるのか」

 ただ損益だけを追って、それが国体を成すのか。そんな虚しい繋がりを国と呼ぶのなら、学術都市・ソラネンはシジェド王国の一部であることを放棄する。シキの独断ではない。ソラネンで住まう誰に聞いても同じ答えを選ぶ、とシキが断言するのを右頬を腫らしたリアムが睨みつけたが、フェイグ母神に忠誠を誓った騎士にはそんなものは何の脅しにもならない。
 そんなことを普段は寡黙なシキが滔々と語り続けるのをサイラスは怒りも忘れて聞き入った。
 魔獣たちもこれほど饒舌にシキの論舌が聞けるとは思ってもいなかったのだろう。ぽかん、としか表現出来ないような表情で口論の行く末を案じている。

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